色んな所で「もともと首藤さんは靴下やられる前は何してたんですか?」、「なんで靴下やろうと思ったんですか?」と聞かれる事が多いので、たまには自分の事を話してみたいと思います。
学生時代
首藤家は父が転勤族だったの数年に一度北部九州を転校してました。
生まれは福岡県福岡市、小1〜5年生までは長崎県西彼杵郡長与町、小5〜中3は大分県中津市、中3〜大学まで福岡県福岡市。
スポーツはバスケットと卓球してましたが、成績はそこそこといった感じでした(笑)
今の仕事を始めてから凄すぎる人が多いので自分のスポーツ経歴は省力><
新卒22歳〜24歳はコスモス薬品
九州では知らない人のいないドラッグストア「コスモス薬品」に就職しました。
今は外観がピンクですが僕の時は緑でした。
宮崎県小林市に配属され、その後都城、北九州市と副店長店長となるにつれ引っ越しが発生。
この時にふらっと物件を見に行き、いい物件があったのでその日に引っ越しを決め、赤帽に連絡し、荷物を片付け、1日で引っ越しするという伝説が生まれました(笑)
コスモス薬品では医薬品、化粧品、健康食品を扱っているのでこの時に登録販売者の資格を取りました。
この時の知識が今に生かされているのでありがたい!
ちなみにコスモス薬品に就職した理由は、学生時代のアルバイトが接客や営業系だったのでその延長線上で決めた感じ。
特に深い理由はありません(笑)
24〜25歳サムソナイトジャパンへ
コスモス薬品で働いている時になんとなく「スーツを着てビシッとした格好で仕事をしてみたい!」と、よくわからない欲求が湧いてきて転職を考えました。
ちなみに、コスモス薬品の時は白衣でした。
その時に「samsonite(サムソナイト)」という世界最大のカバンメーカーにご縁があり入社。
スーツを着て出張の多いビジネスマンは誰しも知っているメーカーかと。
サムソナイトでの配属先は福岡市内の岩田屋という老舗百貨店。
コスモス薬品で最後にいた店舗は北九州だったので、福岡市内にお引っ越し。
この時から独立心が湧いてきますがまだ動いてはいませんでした。
25〜26歳RIMOWAへ
サムソナイトにいた時に隣の売り場にあったのがドイツ製のスーツケースメーカーのこのRIMOWA。
見ての通りかっこいい!!
見た目と歴史に一発で惹かれる、サムソナイトの時から自社の予算をクリアしたらRIMOWAばっかり売ってました(笑)
ダメな販売員><
そんな事をしてたのでRIMOWAの営業さんと仲良くなり、福岡に初のフラッグシップショップができるタイミングでまた転職。
当時の日本人・・・アジア人はRIMOWA大フィーバー。
もともとは知る人ぞ知る高級スーツケースだったのが、その人たちに憧れて買う人が爆発的に増殖!
特にアルミのケースが象徴的な存在で使い込むとまたかっこよく味が出てくるのです!!!
・・・RIMOWAについては語りだしたら止まらないのでこの辺で(笑)
当時の販売員の中では一番RIMOWAについて詳しい自信がありましたので、聞きたい人はいつでもご連絡ください♪
ただ、大好きなメーカーに居るが故の悩みもでてきます。
色々とモヤモヤしている時に、この時に知り合えた色んな経営者の方やバリバリの営業マンの方に影響され、本格的に独立の準備に入りました。
27〜29歳は個人事業主へ
思い切ってRIMOWAを辞めて「セールスレップ」の道へ。
当時・・・今も東京以外ではやってる人ほぼ聞いた事ないですが「セールスレップ(営業代行)」の仕事をしてました。
今からは想像できないようなオシャンティ〜な物をセレクトショップに卸のお手伝いをしたり、個人に販売したりしてました。
ハーブティーやチョコレート。
髭剃りカミソリのホルダーやグラス。
ちなみにRIMOWAも個人でやってたので修理依頼も受けてました(笑)
今とは真逆な服装です!!!
こんな調子乗ったことも!!
こういったアイテムの中にItoitexの前身となる靴下を扱っていました。
もともとスポーツを本気でしていたので、スポーツをする人と関わる事が楽しくなり、徐々に仕事の比重も自然と靴下へシフト。
29歳株式会社Itoitexの立ち上げ
最初は代理店の一人として扱っていた「和紙の靴下」でしたが、ひょんなきっかけで製造販売権を任せて頂ける事になり、株式会社Itoitexを立ち上げる事に。
ここからはみなさん知っていることかと思うので省略。
きっと一番知りたいのはなんでItoitexの代表を退き、今の株式会社インナー・ファクトを立ち上げたのかという点でしょうが、それはまた今度(笑)
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