滋賀一周ラウンドトレイル440kmの旅~明けない夜は無い~

満身創痍、傷だらけのボロボロでシガイチ完走しました!
壮絶で過酷な道中だったにも関わらず、なぜか達成感や実感が沸かない。
まるで夢の中での出来事の様でした。
140時間戦い続けた記憶を辿り、思いつくままレポートします。

スタートまで

ステージレースではない、トルデジアン方式の440kmレースが滋賀県で開催される。
滋賀一周トレイルのことは以前から知っていたが、ステージレースにあまり興味が沸かなかった。
1日走って休んでまた走るより、緊張感を保ったまま一気にどこまで行けるのか。
440kmという距離は途方も無いが、人体実験の極みとして是非チャレンジしてみたい。
そんな気持ちで応募して当選し、参加が決まる。

あとはサポートだ。
大会サポートなら参加費は12万円、専属だと8万円なので、デポバック運ぶだけなら両親に頼んでみようかな。
いつまでも親のスネをかじっている寅年48歳の甘えた息子は、親のスネからダシが出るほど甘えようとしていた。

準備

大会3週間前、そろそろ本格的に準備が必要だ。
サポートを両親に頼んだのはいいが、8日間にも及ぶ長い旅。
全日車中泊で賄えるはずも無く、宿をとる必要もある。
しかも、開催期間はGW真っ只中。
「えっ、もしかして自分の準備よりサポーターの準備の方が大変なのでは・・・」

今頃気づいたんかーい!

自分を責めたが時すでに遅し、自分の行動計画に合わせ、サポーターの宿の手配を同時に進めていく。
こんなんやったら大会サポートにすればよかった・・・
正直、この時はそう考えていたが、両親、家族のサポートが無ければとても完走などできなかったことは後ほど詳しくお伝えします。

大会後のダメージと変化

フィニッシュ直後は、不思議なほどダメージは無く、足も残っている感じでしたが、一週間経って芯の疲れが取れない感覚です。
足は藪漕ぎで切り刻まれたかすり傷が多数、歩行区間でカカトを使いすぎて普段できないカカトの側部にマメが出来た以外は、筋肉痛などは特にありませんでした。
転倒した時に右手中指を突き指したので、はれ上がって痛みもあり、左胸を何度も強打したので咳をすると肋骨が痛く、病院で診てもらいましたが骨に異常なしとのことで放置プレイ中。
440km走ってこの程度ならほぼ無傷かと(笑)。
下半身より上半身のダメージが大きかったのは意外でしたが、頑丈な体に感謝です。


A20栃生にて この程度ならかすり傷(写真:Sunny)

一番ひどいのは足の浮腫みで、直後から(大会中から)パンパンに腫れ上がり、痺れと痛みを伴って、寝付くのも大変でした。
大会3日後に10kmほど浮腫み取りのリカバリーランを走りましたが、まだ痺れが取れない感じです。
あとは、異常なまでの食欲。
大会直後から猛烈な空腹感に襲われ、その日の夜はラーメンにチャーハン、餃子、鶏唐揚げと白ご飯まで平らげた後にデザートまでペロリでした。
そんな暴食生活が5日ほど続いていますが、無敵のチートボディーは全てを吸収し、大量の発散で完全循環。
体重はむしろ減少傾向。いつまで続くのか楽しみです。

コース

超難解の激ムズコースでした。ルート探しとロストで5時間以上費やしたのではないかと思われます。夜間、霧で1m先も見えなかった鈴鹿の稜線はもちろんですが、いくつか「もう無理かも」と心折れる場所がありました。

A7 鞍掛峠~A8 五僧峠

五僧峠のエイドに到着した時、丹羽さんから「迷いませんでしたか?私は初見の時40分くらい彷徨いました」と、お声がけいただきましたが、私は1時間半くらい彷徨ってました(笑)。
途中、小野選手と並走してルート追随しなければここで諦めていたかも。
というくらい迷いました。
何がそんなに難しかったのか。
昼間にリベンジ案件です。

A10 品又峠~A11 鳥越峠

新穂山付近で同じところを何度も行ったり来たりしました。
ピンクのテープがこの付近でのコースマークだと思うのですが、幻覚で木の枝がピンクのコースマークに見えてどのルートが正しいのか全く分からなくなり、後続を待って一緒に進むしかない。
そう覚悟すると遠くにヘッデンの光が。

助かった。
と思ったその光も幻覚で、もう一度トレイルを慎重に探しながら前を向くと、今度は後ろから足音が近づいてくる。
「後続選手や、助かった!」と振り向いても誰もいない。
幻覚と幻聴を繰り返し、諦めかけていた時に突然道が拓けました。
恐らく何の変哲もないルートを2時間近く彷徨っていました。
ちなみに、この区間は無人のテントエイドだと知らず、A9国見峠からLB4 合歓の里まで無補給でフラフラに・・・。

同じところを何度も彷徨う

A19 地蔵峠~LB7 小川集会所

小川集会所目前の下りのトレイル。
ここは先々週試走していたので問題なく乗り切れると思っていた。
もうすぐライフベースで眠れるという油断か、蓄積された疲労なのか、精神と肉体が分離したような不思議な感覚に包まれ、まるで夢の中での出来事のように感じられた。
いったい自分は何をしているのか。
ルートを探し、前に進む。
探しても探してもトレイルが見当たらない。
急こう配を落ちていくように下っていく。
こんな道だったっけ?
そういえば以前ここに来たことがあったような。
それは試走ではなく、もっと昔、確かに自分は夜中にココにいて、同じような体験をしたという不思議な記憶が蘇る。

「あれっ、こんなところで何してるんやったっけ?」
「滋賀一周トレイルの大会って何?確か終わったんじゃなかったっけ?」

まるで現実味が無く、無意識のうちに山を下りていた。小川集会所に向かうロードでメディアの方と並走し、カメラを向けられ、調子は?の質問を受けたときに、「今、大会中ですよね?」と本気で聞いていたことは覚えている。

謎の逆走

還来神社に到着、ここまでくればゴールは見えた。
比良比叡トレイルから比叡山へのトレイルはLAKE BIWA100でも通ったことのある明瞭なトレイル区間で、慎重に進めば何の問題も無い。
還来神社で参拝を済ませ、ガッツリと補給。少
し眠気があったので、15分ほど仮眠して満を持して出発する。コーステープを外さないように慎重に、とにかく慎重に一歩一歩進む。
比良比叡トレイルは同じような風景が続く無限回廊のアップダウンという印象があったので、同じ景色が続くことに何の疑問も抱かず、気づけば還来神社が見えた。
「あれっ、還来神社って2つあるんやったっけ?」還来の神様が名残惜しかったのか、小出石越えから逆走し、再び神社に戻って来てしまっていた。
ハッと我に返り、激しく動揺する。

やばい!逆走してるやん!何やってんねん。
ここまで来て無駄な体力を使ってどーすんねん!しまった。
もったいない!くそっ!

あまりの悔しさに夜のトレイルで独り叫んでいた。
一体どこでロストしたのか、全く気づかなかった。
急いでロスト地点に戻り、真相を知りたい。
後続との差も気になる。
動揺で我を失い、同時に疲れも失って、かなりのハイペースでロスト地点の小出石越えに到着する。
なるほど、これか。
ロスト原因が分かって安心すると、一気に疲れが襲いかかり、比叡山では寒さ睡魔と格闘した。

小出石越えで来た道を逆走

ライフベース物語

LB1 余野公園

まだ序盤中の序盤。
こんなところで順位を気にしても仕方ないのだが、トップ争いに絡んでいるのでどうしても気になる。
普段はジェネラルエイドだが、今回は専属サポートエリアで補給を受ける。強風の中、あらかじめオーダーしていた大盛りうどんをいただこうとしたが、目の前には小さなにゅう麺が。

ガッツリ食べたかったのにー、何で小さいにゅう麺なん?

いきなり不満を漏らすが、胃腸にやさしくと思って小さなにゅう麺にしたという母親の愛情で心を満たし、お腹は満たされないまま、強風でカラダが冷える前にLBを出発する。

大きな愛情の小さなにゅう麺(写真:Susumu Saishoji)

LB2 朝明茶屋キャンプ場

暴風雨の夜を乗り越え、たどり着いたLBだが、雨脚は依然強いまま。
転倒を繰り返し、泥だらけになった服を着替えてひと眠りしようかとも考えたが、今度はオーダー通り、いや、オーダー以上に美味いカレーを食べて一気に元気が回復。
眠気も無かったので、どうせ濡れるならサッサとスタートしちゃえ。
と飛び出したら「トップスタートですよ」と言われて驚いた。
このあと細かなロストを繰り返し、すぐに抜かれるのだが。

LB3 ゲストハウスうむ

早朝到着の予定が既に陽は高くなっていた。
LBに着いた安心感からか睡魔は無かったが、この先を考えると少し休んだ方が良いと思い、シャワーを浴びて横になる。
仮眠後、あしラボさんのマッサージを受けると、まるで足を交換したように軽い。ラーメンやおにぎりを平らげ、コンタクトからメガネに着替える。
全てをリフレッシュして、元気良くスタートした。ここからが本番だ。

リフレッシュしてうむを出発

LB4 合歓の里

足が軽くなったと調子に乗ってたら落とし穴がある。
この区間はとにかく迷い、LBまでが長かった。
しかも、晴れるかと思っていた夜は連夜の雨で、冷え切った体を温めたかったが、シャワーも無い。
お湯を分けてもらい、プチ足湯でリフレッシュ。
必携装備をチェックしてもらい、全身が浮腫んで腫れあがった体に鞭を打ち重い体を前に進める。

LB5 願力寺

エイドスタッフの方に「ここまで来たら残り100mileですよ。終わりが見えてきましたね」と言われ、そうですね。あと少しですね、

ってなるかーい!あと100mileもあるやないか。

とにかくお腹が空いていたので、カレーパンをおかずにおにぎりを食べるという、普段やりたくてもカロリーを気にしてできない夢の競演を楽しんだ。
今日は何を食べてもゼロカロリーだ。
しかし、この後の国境スキー場単調トレイルは眠かった。

カレーパンはおにぎりのおかず

LB6 おっきん椋川

顔を洗い、歯磨きして、仮眠してから食事する。
LBでの過ごし方にリズムが出てきた。
サポートの連携も手際よく、合歓の郷で食べられなかった親子丼をたらふくいただく。
いよいよ終盤、疲れはあるハズなのに、レースが楽しくなってきた。
滞在時間も短くして、ここからペースアップしようかと考えていたが、香ばしいコーヒーの香りが漂い、スタートするのを躊躇する。
出来上がるまで少し待って、最高に美味い食後のコーヒーをいただいたら、眠気スッキリで元気がみなぎった。
睡眠時間は削っているのに、LB滞在時間はなかなか削れない。

極上コーヒーで眠気スッキリ(写真:Susumu Saishoji)

LB7 小川集会所

朝を迎える時間なのに、寒く、暗い。
ここでシャワーを浴びて、髭も剃り、全てを着替えて、フィニッシュに向かいたかったが、早くここを出て、還来神社に行きたい。
還来神社まで行けば何とかなる。そんな気持ちで先を目指す。

寒く、重苦しい雰囲気と感じた小川集会所

A22 鹿ケ谷・コイコイ商店

LBではないが、最終エイドはとても印象的だった。
睡魔でテンションも上がっていたのだろう、エイドスタッフに一方的に話しかけていた。
3位の飯野選手が後続との差を気にしていたことを聞き、還来神社での逆走劇の悔しさを思い出す。
トップの福井選手は既にゴールされていて、このエイドから大津港まで2時間半で走り切ったと聞いた。
それなら私はサブスリーを目指してやろうじゃないか。
と、謎の闘争心が芽生え、ラストは激走。
まるで自分の体では無いかのように軽く、限界を超えたときに現れる「飛ぶような感覚」を味わった。

チャーハンおにぎりで最後のパワーチャージ

寝る勇気

睡眠は約6日間の行程で6時間くらい。
3日目以降からは睡魔というより、脳の緊急停止ボタンを押されたように、突然カラダの動きが止まる現象を経験した。
動かそうとしても動かない。
とにかく眠く、横になるしか復活の道は無いのだが、無意識のうちにカラダが前に出る。
精神と肉体が分離して、魂がそれを見守っているような不思議な感覚だった。
睡眠のポイントになったのは、A15抜土のテントエイドでエマージェンシービビィに包まり仮眠をとったことだと思う。
無理に進まず、ここで休んだことで後半も動き続けられた。

A15抜土 快眠で思わず2度寝した

<睡眠時間>
LB3手前 柏原駅付近ベンチ 10分
LB3 上平寺ゲストハウスうむ 40分
LB4 金居原・合歓の里    90分
A15 抜土          50分(25分×2)
LB6 おっきん椋川      40分
LB7 小川集会所       90分
A21 還来神社        15分
比叡山登山道        5分×3
             ———–
              350分(5:50)

とにかく食べる

ジェルはほとんど摂らず、ほぼカップラーメンかおにぎりなどの固形物で乗り切った。
胃腸トラブルは全く無しだが、栄養が偏っていたせいか、3日目くらいに口内炎が酷かった。
仮眠前にMAGMAと胃腸薬を飲んで後半は口内炎も回復。
モリモリ食べられる胃腸に感謝。

A21還来神社にて 食欲は止まらない

サポート

デポバックさえ運んでくれたら何とかなるやろ。
と考えていましたが、何ともなりませんでした。
前半の雨で濡れた服や靴を乾かし、次のLBで準備してくれていたり、ヘッデンや時計、モバイルバッテリーを充電して用意してくれたりと、準備不足だった点を補ってもらえたのは本当に助かったし、次のライフベースまで行けば何とかなる。
と、家族が待っていると思うだけで精神的にも随分助けられました。
LB内には1人しか入れませんが、母と娘が車の中で調理したものをエイドまで運び、サポートの妻に手渡して、充電や着替えを父が準備してくれる万全の体制でサポートしてもらいました。
エイドを出るときに駐車場に向かい、家族みんなでワイワイと他愛もない会話を交わす。
この時間がロスタイムだと母親は激怒していましたが、私にとってはこの時間が無ければ、とても完走などできていなかったと思えるほどの大切な時間でした。
慣れないスマホを操作してIBUKIで私の到着時間を予想してくれた両親、折角の連休を返上して付き合ってくれた妻と娘。準備を含めて色んな心配をおかけしました。
フィニッシュした時に喜ぶよりも安心した顔をしている家族を見て、一緒に戦ってたんだと実感しました。

好きな時に走り、食べたいときに食べ、眠くなったら勝手に寝る。

そんな私のワガママに付き合ってくれた家族には心の底から感謝しています。本当にありがとう。

ゴール後、みんなでシガイチポーズ(写真:Susumu Saishoji)

完走の感想

まだ実感が沸かない。
グレートレースに登場する強者たちと肩を並べ、心ゆくまで戦い尽くしたはずなのに、本当に現実だったのか、書斎に飾っているShiga1の完走賞だけが現実だったことを証明している。
自分のチカラでは何ともならなかった、もう一度同じことが出来るかと問われれば、絶対に無理だと自信をもって答えられる。
今回完走したのは運というか、運命に逆らわず、時の流れに身を任せた結果のような気がする。
自分だけのチカラでは何ともならない。
限界を超えたとき、自分以外のチカラを借りて進んでいく。
そのチカラを呼び込むのは諦めなかった自分の運であり運命なのか。
言葉にするのは難しいが、本当に夢の中の出来事では無かったのかと今でも思う。
スピードはいらない。
自分の体を動かし続けてとにかく前に進めるしか、このゲームを終わらせる方法は無い。
リタイアと言う選択肢は無かったので、とにかく前へ。選手全員に1日24時間という時間が平等に与えられている。
その時間をどのように使うか、ココロとカラダと運命を背負いながら、自分の魂を込めて前に進む。
夜は体が動かない、だけどお天道様が顔を出せば何とかなる。
明けない夜は無い。
とにかく朝を待つ。
その運命に身を委ねた結果、いつの間にか大津港にたどり着いていた。
もしかしたら、トルデジアン方式のロングレースは自分に向いているのかも。
そう感じるのも錯覚なのか。
実感が沸かないのは、3位になれなかった現実を受け入れられないからなのか。
いや、4位になれたことも奇跡で、これ以上の結果なんてあり得ない。
トップ3とは大きな差があるとは思えないが、小さなことがすべて違うと感じた。
その小さな差を一つずつ埋めていけば、少しでも近づけるのかもしれない。
何もかもが壮大過ぎて、まだ気持ちが整理できていない。
改めて現実を受け入れ、全身の傷が癒えたとき、次回はサポートのチカラを借りず、今回の反省を活かして準備万端で更なる高みを目指して挑戦したくなるのかも。
答えは琵琶湖の中にある。かどうかは知らんけど。


河畑和宏河畑和宏

河畑和宏

脱メタボ目的で走り始めて、ひゃっほい氏のblogに多大な影響を受けたオッサンランナー。2019年UTMF→かとぶん→彩の国の3週連続100mileの翌週に美作ベルピールで優勝したのでbellと名付けてもらいました。フルベスト2'56"17。2019年のONTAKE100kで鏑木さんより先にゴールできたのが最高の思い出

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP