フィリピン最高峰アポ山への道〜Mt. Apo Sky Race 75Km 兼 アジアトレイルマスター最終戦

12月17日(土)にフィリピンで行われたMt. Apo Skay Race 75km 兼アジアトレイルマスター最終戦に参加してきたので、それについてレポートしたいと思います。
Mt. Apo Sky Raceは100km、75km、50kmと複数カテゴリーがありましたが、そのうち75kmの部がアジアトレイルマスター最終戦として参加条件が設定され、それに優勝した者が2022年アジアトレイルマスターシリーズのチャンピオンとして認定されるというものでした。

2022 アジアトレイルマスター最終戦参加資格について

アジアトレイルマスターの最終戦ってどうすれば出れるの?

・2022年はアジア各国で行われるシリーズ戦で獲得したポイント順で、国ごとにランキングされ男女それぞれ上位5名に出場権が与えられる。
・参加したレースのうち、成績の良かった4つのレースのポイントが計算される
・最終戦までに最低2レース以上消化していること。

日本にもアジアトレイルマスターシリーズのレースはあるの?

・2022年は越後カントリートレイルとIzu Trai Journeyがシリーズ戦の一つとして指定されてました

シリーズチャンピオンになると何か良いことあるの?

・大きな金額ではありませんが、賞金が貰えます。またシリーズランキング10位以内に入ると翌年のシリーズ戦にFree Entryできる資格が貰えます。(旅費は自腹ですが)


2022年度の最終戦参加資格について、アジアトレイルマスターシリーズに馴染みのない方にはわかりにくいと思うので、具体例をあげると私の場合、まずシリーズ戦の一つである越後カントリートレイルで3位に入り425ポイント獲得、同じくシリーズ戦の一つのベトナムマウンテンマラソンで3位で同じく425ポイント獲得して計850ポイント。これで日本人だけのランキングで男子5位に入れたのでファイナルへの出場権を獲得という感じでした。2022年はアジアトレイルマスターのシリーズになっている日本のレースは2つしかなく、日本在住には条件が厳しかったですね。私以外の日本人男子4名は東南アジア在住の方でした。
女子は日本人で2レース消化の参加資格を満たしたのは3人だけで、その中から参加したのは私と同じく日本在住の安ヶ平さんだけでした。参加資格だけでなく、現地までの渡航費は自腹なので、資格があるので「フィリピンで最終戦をやるから来てくれ」と誘われても普通は難しいですよね。
それは他のアジア諸国のランナーにとっても同じだった様で男子5人、女子5人のフル編成で参加出来たのはマレーシアチームのみ。加えてこの最終戦には国別対抗戦という企画(チーム内男子上位3人&女子上位3人の合計タイムで競う)もあったのですが、男子3人、女子3人以上のメンバーでエントリー出来たのはマレーシア以外にフィリピン、ベトナムの僅か3カ国だけでした。
企画としてはとても面白いと思ったのですが、運営やら段取りやら準備が追い付いていないという感じでした。アジアトレイルマスターも代表一人で運営しているのでサポートしたり裏方で調整したりするスタッフが必要かなと感じました。アジアトレイルマスターをもっと発展、メジャーなものにしていくのであれば尚更ですね。

Mt. Apo Skay Raceについて

レース会場Playa De Oboza Beach Resort, Santa Cruz, Philippines
距離:約75km
累積標高: 約3000m(実際は4000mくらい)
スタート時刻: AM 5:00
制限時間: 24時間(関門: 山頂 17:00)


スタート地点はフィリピンのダバオから南に40kmほど離れたSanta Cruz (サンタクルーズ)という街にあるビーチ。日本からダバオまでの直行便は無いのでマニラかセブで国内線に乗り換える必要があります。
コースはいわゆる” Sea To Summit”というやつで海抜0mのビーチからスタートしてフィリピン最高峰であるアポ山(標高2954m) の頂上を折り返し、またゴールまで戻ってくるというシンプルですが極めてタフなコースでした。特に登山道入り口のエイドから山頂折り返して再びそのエイドに戻ってくるまで20km近くも補給出来ないので途中で水切れしたりガス欠になったらもう終わりです。

レース前日まで


企画に運営が追いついていないと言ったようにまず会場に辿り付くまでトラブル続きでした。レース日が近づいてもアジアトレイルマスターやレースディレクターからは何の情報提供や連絡もなく、レース期間中は選手それぞれにホテルが割り当てられてその宿泊費は無料、空港からの送迎もあるという話でしたが、「主催者を当てにせず自分で手配した方が良いのではないか?」と感じるくらいでした。幸いレースディレクターと面識があるキタムラさんが積極的に連絡を取ってくれて、日本チーム内でも情報を共有してくれたので助かりました。レース直前になってようやくWhat’sAppというアプリで参加者のグループチャットが出来て、少し連絡が回る様になりましたが、不明瞭な点が多いので選手からの問い合わせが殺到しており、またマレーシアチームからの「割り当てられたホテルが余りに汚いので我慢できないから他のホテルに移る!」との苦情もあったりで、我々日本チームも大会が用意したホテルにそのまま直接行くのは危険ではないか?と判断。先行して現地入りをする私も含めチームの3人は、まずホテルなどの宿泊施設が充実しているのダバオ市街に宿泊して一旦様子を見ようとのことで急遽ダバオに宿を取って宿泊しました。

レース前日

この日はスタート地点でBib Collectionもあるので、既にフィリピンのダバオに到着している3人でまずは取りに行って、ついでに大会が用意したホテルがどんなものか下見をして、その上で今後の予定を決めようということになりました。念のためダバオのホテルも拠点として抑えておき、どうなっても対応できる様にしておきました。
自前で移動手段を確保するのも大変で、ダバオから会場までは40kmくらいあり、車でも1時間くらいかかるのでタクシーを頼んでも「遠い」ということでまずは断られます。となると料金交渉が必要で結構これが面倒くさいです。「メーターの料金+500ペソで」とか言ってドライバーを納得させます。慣れているキタムラさんが積極的に動いてくれたから助かったものの、一人だったらどうなったか。。スタートするまでに疲れ切ってレースどころではなかったですね。

会場についてようやくシリーズ戦でお馴染みの面々に久しぶりに会えてやっと少しテンションが上がってきました。実は自分自身は1週間前に肉離れを起こしてしまい、当初はフィリピン行きも諦め、DNSも考えていたのですが、今の状況を考えると会える時に会っておく、参加出来る時に参加する、機会を逃すと次はもう無い・・この3年の騒動で自分が学んだことでもあります。。まともに走れない事はわかっていても参加することにしました。

受付を済ませた後、スタート地点のビーチで

日本チーム全員分のBibとチームのユニフォームを受け取り、当初は必携品チェックもやるという話でしたが、それはありませんでした。。。アジアトレイルマスターのインタビューを受けた後、大会が割り当てた宿泊施設へ下見に。1Fの売り場にいた女性に話をしても我々が泊まる予定であることすら全く聞いていない様子で誰かに電話をして確認している始末。。。暫くしてやっと部屋に案内され、事前にレースディレクターに男性用に1部屋、家族連れ用に1部屋、女性用に1部屋、計3部屋用意するようにキタムラさんが交渉してくれていたのですが、実際用意されたのは2部屋だけ。中を確認すると思ったよりは良い環境だったので、夜にこちらに移動して宿泊し、翌早朝にレース会場に向かうことにしました。
本日到着する残りのチームメイト3名と合流するため、一旦ダバオに戻り、合流して食事を一緒にした後に、再びレース会場近く宿泊施設に移動。レース前日なのに何かと慌ただしく、ゆっくりとレースに集中出来るとは言い難かったです。アジアトレイルマスターの最終戦ということでもあり、またダバオの観光局も支援するということで少しは期待していたのですが、受け入れ態勢やその他の運営は問題が多かったですね。
各国から選手を集めるのだから、ダバオにそれなりのホテルを借りて、そこを会場&拠点として選手を宿泊させて運営すれば何事もスムーズに行くと思うのですが、そこまでの予算がなかったのか、そういうアイデアやプラン自体も考えられてなかったのかはよくわかりませんが、東南アジアの国々からエリートランナー(トレイル世界選手権代表もいる)を招待するのだから、それなりの待遇を持って準備して欲しかったなというのが正直な気持ちです。またせっかく集まったのに選手同士の紹介や交流する場もなく、受け入れる側としても大会や街をアピール出来る貴重な機会だと思うのに、有効に活用出来てなくて勿体ないなという感じがしました。

レース Day


結局4時間ほどの仮眠しか取れずレースを迎えることになりました。スタート地点についてもファイナルという割には選手間ではピリピリという緊張感は余り無いように感じました。割とのんびりとしたムードでしたね。
結局最終戦75kmレースの参加者は男女合わせて46名。内訳は日本6名(男5 女1)、マレーシア10名(男5 女5)、フィリピン8名 (男4 女4)、ベトナム6名 (男3 女3)、シンガポール3名(男2 女1)、インドネシア3名 (男2 女1)、オーストラリア3名(男3)、タイ1名(女1)、香港1名(男1)、Team Expat(アジア在住の外国人チーム)5名 (男3 女2)。韓国からは誰も来てないし、当初期待されたより選手は集まらなかったようです。

Team Japanのメンバー

予定通り5:00 AMに男女同時にスタートし、レースは始まりました。1週間前に肉離れを起こしてそこから全く走らずに回復に努めましたが、やはり無理でした。。スタートしてすぐに脚に痛みが出るし、まともに走れないので2km辺りでもう棄権してスタート地点に引き返そうかと真剣に考えました。
「進むべきか・・それとも勇気ある撤退か・・」迷いましたが、せっかくフィリピンまで来て何も残さずに帰るのは虚しすぎるし、せめてアポ山の山頂までは辿り着かなければ・・との思いで脚が痛くても続行する道を選びました。1km辺り 8分半くらいのペースでノロノロと最後尾付近を走ってました。
それでも30分くらい走っていると痛みも少し麻痺してきた様で、少しずつペースを上げて走れる様になってきました。1時間くらい経つと登りで歩いている女性ランナーも見えてきたので目標が出来、これなら後半順位を上げつつ完走できるのではないか・・と期待を抱き始めましたが・・
そういう時に限って痛恨のコースミス。海岸地帯を抜けてからは地元の集落の中を進むコースで、マーキングもほとんどなかったので、暫くはこんな感じの道を進むのだろうな・・と走ることだけに集中していたので、まさか急にメインロードを外れて脇道に入るコースになるとは予想もしていませんでした。ひたすらメインロードを進んでいると不思議そうな顔をした女性から「Where are you going!?」と声をかけられました。「Mt. Apo」と答えると「こっちじゃない、間違ってるよ!!」と言われ、ロストしたことに気付き、一気に力が抜けました・・。
結局分岐から2kmも余計に走ってしまい、その往復分で計4kmの無駄走行。ただでさえ脚が痛いのに、余計に体力も消耗&時間も浪費して、「泣きっ面に蜂」状態。順位もまた最後尾になってしまい、完走に再び黄色信号が灯ってきました。
それでも諦めずにゆっくり走っていると少しずつ前方のランナーに追いついてきました。再びリズムを取り戻し、次はもうロストしないと時計のGPSのコース画面ばかり見ていましたが、急に道から畑の方に入る様になっており、近くにマーキングもないので、「本当にここで曲がるのか?」と不安になってきました。暫く進んでも畑の合間を縫う様なコースだし、相変わらずマーキングもないし、周りにもランナーも見当たらないので、不安になり、もう一度引き返して確認してみることにしました。
分岐した地点に戻ってみると後から来たフィリピンの女性ランナーに会い「何してるの?コースはこれで合っているよ!」とのこと。他にも周囲で同じ様に道に迷ったランナーが集まって結局6人くらいの集団になり、一緒に進むことになりました。フィリピン人ランナーが地元の人に聞きながら進んでくれたので、コースとしては微妙な感じもしましたが、信じて進みました、やがて登山道に入る手前のエイドに無事に辿り着いて、間違ってなかったと少し安堵しました。
これから先は山頂まで往復して再びこの地点に戻ってくるまで、補給できる場所はないので、水はいつもより多め、1.5L補給して進みます。
まずジャングルの中の登山道を進んでいくうち、早くもトップの選手とすれ違い大分自分は遅れていることがわかりました。このジャングルを進むコースもかなりの曲者で急登や足場の悪いところも多く、また脚を庇いながらせ走ったせいか筋肉に余計な負担が掛かっていたのでしょう、途中から脚がすっかり動かなくなり、まだ山頂まで辿り着いてないのに完全に疲労困憊の状態になりました。
やっと岩場のエリアに出て、ここから山頂まではもう近いのかと思ったら、丁度すれ違った100kmの部のランナーから「ここからが地獄だ」「まだ山頂まで6kmある」と言われました。見上げると岩場の急登が延々と続き感じで頂上すらまだ見えない・・・。
「これを登っていくのか・・」疲労困憊の脚と残りの体力を考えると絶望感さえ感じました。

Hell(地獄)の始まり
この様な岩場を山頂まで登っていく・・


ここまで来たからにはもう今更引き返す訳にも行かないので覚悟を決めて登り始めました。1歩進んでは休み1歩進んでは休み・・そんな感じでした。果たして本当に辿り着けるのか・・不安を抱えつつもすれ違うランナーとエールを交換して元気をもらい、かなり時間はかかりましたが、何とか無事に山頂に辿りつくことが出来ました。

ようやく辿り着いた山頂


山頂付近は風も強く、早く下山しないと暗くなってしまうので、景色を楽しんでいる余裕はなく、写真撮影だけ済ませると、そそくさと下山しました。岩場エリアで暗くなってしまうと、方向がわからなくなってしまうので(マーキングに反射材はついてない)早くこの地帯を脱出する必要がありました。と言っても既に股関節辺りは痙攣を起こしている感じで、2、3歩下るごとに休みを入れないと下れない有様でした。岩場エリアは何とか明るいうちに抜けることが出来ましたが、ジャングルに入った途中でもう真っ暗になってしまいました。
暗い上に足場も悪く、何度も滑って、転倒したりしながらやっとの思いで麓のエイドに辿り着きました。山頂まで往復してここに戻ってくるまで9時間近くもかかってしまいました。でもここからまだ28km近くあり、まだまだゴールは遠い。。
もう順位もタイムも関係ないのでのんびりエイドで出されたもの(カップ麺やホットチョコレートの飲み物など)を堪能していたら同じ日本チームの山本さんに追いつかれました。二人で話し合い、我々はゴールする時間は深夜近くになるだろうから、先にゴールしているであろう残りのメンバーにはダバオに帰ってもらい、我々はゴール後、大会が用意した宿泊施設に戻り、翌日会場で行われる表彰セレモニーで合流するようにチームメンバーに連絡を取りました。
山本さんより先行してエイドを出ましたが、暫くして時計のバッテリーが切れてしまいました。GPSのナビゲーションがないので、もうマーキングしか当てにするより他なく、途中見落としたら迷子になってしまうので、慎重にゆっくり行きました。途中畑の様な所を突っ切る地帯ではマーキングがわかりづらく、迷いそうになりましたが、幸い50kmの部のランナーと一緒になったのでお互いにマーキングを確認し合いながら進みました。
最終エイドを通過し、あとは比較的大きな道を下るだけかと思いましたが、道沿いに降りて行ったつもりが、正規コースから外れてしまい、幸い携帯の電波が通じるエリアだったのでGoogle Mapで位置を確認するとコースから外れていることがわかり、引き返して正規のコースに戻ることが出来ました。復帰する途中で同じくミスコースした山本さんと他の2人の女性ランナーと合流し、山本さんのGPSがまだ生き残っていたので皆で一緒にゴールまで行くことにしました。

そして日付も変わり、深夜2時過ぎにやっとゴール。



とりあえず無事にフィリピン最高峰を踏破し、最低目標の完走は出来て安堵の気持ちはあるものの、翌日のセレモニーに参加しているうちに満足な状態で出場出来なかった自分自身が情けないというか、悔しいというか、せっかくの貴重な機会を無駄にしてしまったという後悔の念ばかりでした。DNSして日本で悶々としているよりかは参加して良かったと思いますが、自分の未熟さや課題ばかりが浮き彫りになりました。来年はまだどのレースに出るか決めていませんが、次回はしっかりと結果を残して走りたいと思います。



最後に

以前投稿したベトナムマウンテンマラソンは日本の方にも比較的お薦め出来ますが、このMt. Apo Sky Raceは正直余りお薦め出来ません。フィリピンの最高峰のアポ山に登れるというのが魅力ではありますが、日本から単独で参加するにはハードルが高すぎますね。
会場へのアクセスが悪いことや、危険箇所が多いこと。マーキングも少ない上に分岐が分かりにくく、ロストしやすこと。レースディレクターの考え方や運営の仕方を見ても次回以降、こうした点が大きく改善されることはなさそうです。

TomohiroTomohiro

Tomohiro

高校&大学と陸上部に所属。卒業後もトラックの1500mからロードの100kmレースまで一通りこなした後、トレイルランニングの世界へ。国内の主要なレースを経験した後、暑さに強いのと耐久力を武器に2018〜2019年はアジアトレイルマスターシリーズのレースに参戦、韓国、フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムなどの国々のレースに参加。2018年はシリーズランキング3位、2019年は4位

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