インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。
ジョグシューズとセルフネグレクト
昔はひどいシューズでジョギングをしていた。
ラグが消え失せた走行距離800km超のトレランシューズで走っていた。ミッドソールの反発の終わったレースシューズで走っていた。
スピードの出ないジョグだからこれで十分だとか、シューズの差異が分からない貧乏脚だからだとか理由を並べて自分を納得させていた。でも一番の理由は病的な節約癖だったように思う。
いつからかジョグが増えて、ジョグシューズに気を使うようになった。結局ジョグしている時間が一番長いのだからここにこそこだわったほうがいい。
ジョグなので、ペースを抑えやすい重めのシューズが良い。それでいて1000km以上持つ耐久性があるシューズだと経済的だ。
今は三足をローテーションしている。癖の少ないベーシックなシューズ。土踏まずを上げてくれるシューズ。ゼロドロップのシューズ。
すべてメーカーやタイプが違う。こうすると脚の使い方が変わり、刺激も変化して飽きないし怪我も少なくなる気がする。
シューズを長持ちさせるには、履いたら一日休ませるといい。二足で回していると、一日二回走りたくなったときに対応できない。なにより三足あるとその日の気分によって変えられるから遊びの要素が強いのかもしれない。
こんなふうにジョグシューズを楽しめるようになったのはいつからなのだろうと、ランニングのログを見てみた。そこには走行記録だけではなく、今まで履いたシューズの履歴も残っている。
きついトレーニングを積み重ねているログが目に入る。シューズはスピードが出る軽量で高反発のシューズばかり履いている。履歴を追っていると、徐々にジョギングに占める割合が多くなっていく。きついトレーニングは影を潜めていく。
この時期、なにか心境の変化があったのかもしれないと振り返ると、断捨離をして部屋をやたら片付けていたと気づく。断捨離本を読みまくっていた。でもミニマリストには憧れを抱かなかった。僕は過去の好きを手放せないし、なにより空虚な部屋に魅力を感じていなかったからだ。
今振り返り、俯瞰してみるとよく理解できるのだが、この時期、僕はセルフネグレクトをやめようと試行錯誤していた。
自己肯定感が低すぎるし自分の傷にも鈍感だった。
経済状況がいくらか良くなっているのに病的な節約癖が抜けなかった。でも部屋にはどうでもいい物が溢れていた。まずは身の回りの環境を整えることにした。
デスク環境が終わっていた。モニターの高さを変える卓上デスクを設置すると、目や首の負担が減った。手の大きさに合う最新式のマウスを買う。
大量の本を処分して本棚をひとつ処分した。そのスペースにはターンテーブルを置いて、ゆっくりとレコードを聴ける環境にした。いちいち針を落として聴く音楽は心が穏やかになる。音が身体に染み入ってくる。
薄いマットレスに煎餅布団で寝ていたが、10万円するマットレスに代えたら随分睡眠の質が良くなった。
我慢せずに行きたい場所へ足を運ぶことにした。ここ数年、頻繁に海外旅行するようになって、コミュ障が軽減してる気がする。
疲れていると思ったら外食の頻度を増やした。
セルフケアは上手くいっているように思う。過度の節約は反動を生んで、散財に向かうと言われてるけど、今のところバランスは取れている。
「丁寧なジョグをするとセルフネグレクトは治る」とすると綺麗に終わるけど、ただ単に、身体を労ると無理なトレーニングが減り、その結果ジョグが増えただけかもしれない。
これだけははっきりと自覚できた。追い込むトレーニングは好きではないし、心地よくはなかった。
丁寧なジョグはセルフケアだ。心地よいジョグをいつまでもしていたい。

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