インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。
レースのボランティアの邪悪な楽しみ方
年に一回はトレランレースのボランティアをするようにしている。
頑張る選手を応援したいとか運営の力になりたいとかトレランシーンを支えたいみたいな利他的精神はほとんどない。
一番の動機はなんだろう……考えてみる。
…………苦しんでいる選手の姿がみたい! 打ちのめされてる姿ならもっといい!
これが真っ先に浮かんできてしまった。いくらなんでも性格が悪すぎる。エッセイを面白くするために露悪的にそう思ってしまったのではないかと疑ってみたのだが、どうやらこれは紛れもない本心のようだった。
なぜなら、恒例のように毎年参加しているボラは、国内最難関100マイルトレイルランニングレースだからである。距離160km累積標高10000mなのに制限時間は35時間という鬼畜設定。腕に覚えがあるランナーしか参加しないのに完走率は平均25%程度。大体の選手は順位やタイムよりも完走を狙っている。上位勢でもワンミスで死ぬ。だから出場選手はみんな必死になり、ときには絶望に打ちひしがれる。
ボラでは僕は医療従事者でもなく、特に資格も持っていないので、ほぼエイドに配属される。
エイドでは補給食の調理を任されることが多い。昔、デリカのパートをしていて慣れているからだ。日常生活でもよく自炊している。
メニューは決まっているし、そんなに難しいレシピはないので誰だってこなせるが、選手経験があるほうがなにかと融通が利く。
選手が食べやすい量を想像して切り分ける。豚汁やうどんなら、当日の気温と湿度を加味して出汁の濃さや塩分量を調整する。しょっぱいを越えるくらいでちょうどいい。
エイド敷地内の導線を選手目線で考えて、誘導矢印、休憩ベンチ、飲料タンク、エイド食の配置場所などを決める。徹底的に憩いの場になるようにする。少しでも暑かったら被り水ができるスペースを作る。
地域住民などの対応はコミュ力があるリーダーや女性陣にまかせる。各人得意なことをやったほうがいい。
夜半、選手が次々とやってくる。
辛そうな選手には声を掛ける。胃の調子が悪いようなら温かい飲みものや、トマトや豆乳など胃のpHバランスを整えるものを薦める。コースの知識がない選手なら教える。
僕のことを知っている選手もちらほらいて、声をかけられたりアドバイスを求められることもある。なにを隠そう僕には完走経験があるからだ。だから死ぬほど辛いのは熟知している。このレースの攻略ブログも書いていてそれなりのPV数がある。
オタク特有の早口で偉そうにアドバイスしていると脳内物質がドクドク湧いているのがわかる。普段の生活では、「アドバイスは罪」という認識があるが、この場では容赦なくできる。アドバイス無礼講状態の僕の脳は喜んでいる。
僕は的確なアドバイスをするために、選手でもないのに一日潰してコースの試走をしている。このレースを完走するために毎週試走に明け暮れる選手は多い。彼らの執念は異常だと言われるが、どう考えても僕のほうが病的だ。
気づくと僕のアドバイス待ちができていた。藁にも縋る思いとはこのことだろう。
「スナック江西」は盛況だ。次の選手は僕のブログを何度も読んだと打ち明けてくる。これはもはや信者であり、洗脳されにきているといっても過言ではない。
「この10万円するパワーストーンを身につければ完走できる」などと言えば、絶対に買ってくれる。でもエイドには知人も多いのでぐっと我慢し、パワーストーンをポケットの奥に押し込める(これは笑い話なようだが、ランナーの間では怪しい磁気ネックレスが売れているという悲しい現実がある)。
相談してきた選手に身体の状況を聞き、知恵を絞り、助言して送り出す。そんな選手がレースを終えて、「あなたの適切なアドバイスのおかげで完走できた。次は海外のレースに挑戦します」みたいなDMを送ってくれたことがある。正直そんなに嬉しくない。一円にもならないからだ。やっぱりパワーストーンを売っておけば良かった。
僕はエッセイで何度も書いているとおり、低学歴、貧困、病気持ちの三重苦でうだつの上がらない毎日を送っている。勤労意欲に欠け、昼間から上裸でランニングしている不審者なので、小学生がよく挨拶してくれるが、その手を見るとしっかりと防犯ブザーを握り締めている。
しかしレースのボラでは、圧倒的に頼りにされる。ときにはすごいひと扱いされる。だから生きていてもいいのかもしれないと錯覚できる。僕がボラをする理由は、ただ自尊心を満たしたいだけなのかもしれない。
ひとつ誤解してほしくないのは、僕のような超低空地面スレスレのこころざしのボランティアはごく少数だということだ。
僕のような超ミクロ自利的動機のボラもいれば、超マクロ利他的動機のボラもいる。彼らはトレイルランニングを盛り上げたいとか、ランニングに恩返ししたいと本気で願っている。
いつもボラをしている知人がいる。そのひとはレースの主催団体に所属している。彼にボラの動機を訊いたことがある。
彼は、「もう体力が落ちて選手は無理。レースはきつい。でもランニング仲間と疎遠になるのはもっとつらい」と正直に打ち明けてくれた。そんな彼だが、その働きぶりをみていると「大会を常に改善していきたい」、「大会のノウハウを受け継ぐ」、「新規参入者に優しく」などができていて、トレランの未来を感じさせてくれる。これぞ仏教の自利利他の精神ではないだろうか。
彼がしていることは、非常にやりがいがあり、面白そうに思える。僕も新参者をいかにトレランにハメようか日々考えているからだ。ランニングやトレランに関する培ったノウハウをできるだけ記事やエッセイで残そうとしているのはその一環だ。
僕は年老いてもいつまでも走り続けるランニング仙人になりたいと常に思っている。でもこれだとひとり孤独で寂しくなってしまうだろう。ボケて何千キロも走ってしまうかもしれない。
ボラに参加してトレランシーンを支えたり、後身のバックアップに努めるのも生き方のひとつなのかもしれない。

コメント