ランニングエッセイVol.26「ランナーの見分け方」

インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。

ランナーの見分け方

 真冬のある日、ジョギングをしていたら、骨伝導イヤフォンのバッテリーが切れてしまった。オーディブルが聞けなくなってしまったので集中力は一瞬で消失し、暇を持て余す。
 大きな幹線道路に差し掛かり、信号待ちをしていたら、男性ランナーが追いついてきた。隣に視線を移す。
 明らかに様子がおかしい。
 その場から動いていないのに足踏みしている。漫画やアニメでこういう表現方法があった気がするが、初めてリアルで見たので目を剥いてしまった。
 幹線道路なので信号待ちは長い。男性は踵を返して10メートルほど走り、再びこちらに戻ってくる。これを繰り返していた。
 マグロのように止まったら死んでしまうのかもしれない。
 僕は基本的に他人に興味がないのであまり観察しないのだが、なにせ暇だったので、男性の行動の意味を推測してみることにした。
 有酸素運動は20分継続しないと意味がない――という古い情報をまだ信じているのかもしれない。実際は細切れでも脂肪は燃えるし、脳も回るようになる。
 正確な理由は不明だが、とにかく運動を途絶えさせたくないという固い意志は伝わってくる。
 確信を持って言えるのは、この男性はランニング初心者だということだ。体型や服装で瞬時に分かった。
 痩躯だが、ランナー特有の刈り込まれた雰囲気がない。有名ブランドのウインドブレーカーは真新しい。キャップも同様だった。年季の入ったランナーだとウェアがすり切れ、格闘家の胴着みたいになっていることがある。ブランドのプリントロゴは禿げ、「salomon」が「sa o non」に、「Patagonia」が「 atag nia」のように謎バッタもんブランドに変貌する。これを恥ずかしいと思わず、勲章のように感じているひとも多い。
 下半身はロングタイツに短パンを合わせている。これはタイツ一枚に抵抗があるからかもしれない。上級者は多少のもっこりを恥ずかしいと思わないし、なにより面倒でタイツ一枚で走ってしまう。誰も自分のことなど見ていないと悟りの境地に達しているからだ。
 基本的に街中のジョグで気合いを入れた服装で走っていると初心者ぽくなってしまう気がする。
 上級者はかなり適当な格好をして走っている。なにせジョグなんて日常だからだ。冬だとひどいと適当なスウェットパンツにダウンを着たまま走っている。その格好でジョグをしても涼しい顔をしている。鍛えすぎているからこの程度の強度では汗を掻かないのだ。こうなると、そこら辺を歩いている人と同じ服装をしていることになる。
 こういった日常との地続き感は一周回って格好いい。この強者感を意図的に狙ったのが、「反社やヤンキーが歌舞伎町で地元感を出すためにスウェットを着る」だと思う。
 話が脱線しすぎた。

 信号は青に変わり、男性ランナーは凄いスタートダッシュで走り出す。
 僕は走り出しに負荷が一番かかると熟知しているので、脚を痛めないようにゆっくりと歩き、徐々に走りに移行する。
 男性ランナーと運良くコースが被っていた。すぐに背中が近づいてくる。フォームは芯がなくて頼りなく、地面から反発をうまくもらえていない。息も荒れ気味だった。やはり初心者なのだろう。
 僕は、「もう少し力を抜いて楽に走ってほしいな」とか「ずっとランを続けてくれるといいな」などと願うが、社交性が皆無なので話しかけられない。できることといえば、楽しそうに走ることだ。でも満面の笑みで走るのも不審人物になってしまう。せめてランニングに対する誠実さを示そうと思い、できるだけフォームを正して彼を抜いて家路についた。

 こうして原稿を書きながら、ランナーのプロファイリング能力が上がった理由を考えていた。やはりレースに沢山出て色々な選手を見ていたからな気がする。
 レースに出始めた頃は、周りのランナーはみんな強そうだと過大評価していた。これも何十回と出ているうちにビビらなくなり、高揚感まで出てくるようになる。
 ゼッケンは実力がわかりやすい。若いゼッケンを付けている選手は体脂肪を極限まで引き下げたような痩躯で、着ているウェアもタンクトップにショートタイツの軽装だったりする。タイムが速いのでこの装備で逃げ切れるのだ。
 逆に後ろのほうのゼッケンでは、長期戦になることが予想されるのでザックを背負っていたりと装備は過剰になっていく。体型もふくよかになっていく。
 なにより表彰式などでトップ選手を間近に見るのは良い経験になる。世界一位のマラソンランナーの身体をみたことがある。脚は細い棒きれのようだった。まったくマッチョではないが芸術的な筋肉だ。徹底的にマラソンに最適化されている。魂を削って作り上げた肉体は苛烈な印象を残す。

 電車に乗っていて、目の前の乗客が、マイナーなランニングウェアやシューズを履いているとテンションが上がり、ついプロファイリングしてしまう。
 昨今はトレイルランニングシューズが流行っていて、競技愛好者ではないのに履いている人が多い。でもそういうひとはすぐに見分けがつく。自身の肉体や他に身につけている装飾品に脈絡がないのだ。正確には僕にはその脈絡が認識できない。
 逆に、ランニングブランドの服やシューズを身につけていないのに、やたら速そうな体躯のひとを見かけることがある。滅多にいないけど。
 こういうひとは所作のすべてに「速そう」が詰まっている。注意を払って観察していると、姿勢がやたらと良かったり、日常ではリカバリーに徹しているのか、うまく身体の力を抜いているような気がする。かといって走り出すと一瞬で地面から反発を受け取れるような感じだ。
 正体を知りたいけど、尾行するわけにも行かない。答え合わせができないのがもどかしい。もしかしたらなにかしらのスポーツ選手……ひょっとすると古武術でもやってるのかもしれない。
 今の日本はまだなんとなく平和で、治安もいい。だから突然暴力沙汰になることは滅多にない。でもこれが血で血を洗う室町~戦国時代だったらどうだろう。突然辻斬りされるかもしれないから、近くにいるひとの様子をうかがって正体を探ろうとするだろう。
 「こやつ只者ではない……おそらく○○流で、薙刀と弓も相当につかうだろう」みたいに正確なアナライズをしていたはずだ。

 僕は日本の歴史や伝統宗教が好きで、よくそういった専門書を読み、寺社仏閣などによく足を運んでいる。フィクションの剣豪や忍者の小説も好きだ。
 本物の忍者が現代に溶け込むならどんな姿をしているのだろうかとシミュレーションをよくする。背広姿になるかもとか全身ユニクロになるかもとか色々考えるけど、そうやって擬態する忍者は大したことがない気がする。市民に溶け込みすぎて、自分が忍者であることを忘れるくらいにならないと真の忍者とはいえないのではないか。そうすれば自分が忍者であることの奢りやイキりも消えるだろう。そうすると真に忍べる。
 そんなランナーになりたいと、ふと思った。
 どういうことかというと、僕は自分がランナーだと自負しているのだ。ふとランナーだと意識してしまう瞬間がある。
 まだ走ることが特別になっているということだ。肩に力が入っている。これがなくなるくらい自然体のランナーになれたら本望だ。

江西 祥都江西 祥都

江西 祥都

ゲームやCMの脚本家、小説家、ライターです。 引き籠もって執筆中にあまりのストレスで山に逃走。山でも走り続け、後にこれがトレイルランニングだと知る。 現実逃避をし続け、今ではフルマラソンサブ3、100マイルトレイルレース上位5%のリザルトに……。沢登りやクライミングもします。 ライティングの依頼がありましたらお気軽にお問い合わせください。

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