インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。
飽きたときに帰る場所
僕は14年もランニングをしている。そんなにずっと走ると飽きるのでは? と思うかもしれない。
……飽きる! 完全に習慣になっていても、それでも飽きる!
飽きるというか、モチベーションがなんとなく低下していると言ったほうが正確かもしれない。
そんなときに決まって足を運ぶ場所がある。
それは近所にある井の頭公園の西園だ。井の頭公園と言えば、観光客で賑わう華やかな弁天池をイメージするひとが多いだろう。そこから西へ500mほど進み、井の頭通りを渡ると西園になる。
ここにはジブリ美術館があるので足を運んだことあるひとは結構いるかもしれない。でも他は至って地味だ。運動施設が多く、遊具が豊富な広場が広がっていて、家族連れで賑わっている。西園は地元民の憩いの場といっていいかもしれない。
そんな西園には土の400Mトラックがある。雨が降るとすぐに泥濘んで使えなくなるが、腐ってもトラックだ。スピードを出す練習で重宝する。近所の中高生の陸上部も同じ考えのようで、よくここで走り込みをしている。閾値走やインターバル走をしていときに、図らずしも合同練習のようになってしまうことがある。追い抜かれたり逆に追い抜いたりを繰り返していると、一言も言葉を交わしていないのに不思議と一体感が生まれてくる。練習を終えて休んでいたら、良いペーサーになったとかで、なぜかお礼を言われて戸惑ってしまったことがある。まあ、京都の「ぶぶ漬けどうどす?」みたいなものだろう。
それにしても少年よ。僕はサッカニーの激安シューズを履いてるのになぜ君たちはナイキの高級カーボンシューズを履いているんだ……
モチベーションが低い今の僕は、かつて一緒に走ったそんな子達を視界に入れながら、トラックの外周をゆっくり走っている。しばらくぐるぐると周回していると、となりに気配を感じる。
Iさんが並走していた。
「お久しぶりです」
「ども。調子はどうですか?」
彼は近所に住むランナーで確か歳は50歳くらい。このトラックで知り合った。すらりとした体躯をシングレットとタイツに包んで走る姿が美しく、思わず声を掛けてしまった。彼とは会うのは数ヶ月ぶりだった。お互いに出たレースの報告をする。彼はフルマラソンで目標のサブ3.5を達成したと嬉しそうに話してくれた。僕も嬉しくなって祝福する。彼はいつも後半に失速していた。アドバイスを求められて、だったら一緒に練習しますかとロング走や閾値走をしたことがある。
前から白いキャップを被り、タオルを首に巻いた老人が歩いてくる。挨拶をかわす。彼はほぼ毎日ウォーキングをしていて、僕たちを認識している。というか彼はこのトラックに大勢いるウォーキング老人のボス的存在だ。
走り終わってひとりでトラックの長辺側にある鉄棒へ向かっていたら、彼に話しかけられた。
「最近、高井戸の公園ばっかり行ってるでしょ」
「すみません……」
行動がばれている。僕は新しくできた公園に浮気して西園を蔑ろにしていたのだ。この老人は千里眼の他にも慧眼がある。
ある日話していたら、「お兄ちゃんはここで二番目に速い。Iさんは八番目だな」と突然格付けされた。いきなり超ローカルなマラソンランキングきた! というか一位は一体誰なんだ!? めちゃくちゃ気になる!
僕は鉄棒で懸垂をする。この三セットある鉄棒は、異様に高さがある。だからなのか、いわゆる本物が使っていることがある。
僕がこのトラックに通い始めた頃、どう見ても体操選手の体躯をしているお兄さんがぐるぐる大回転していた。僕は固唾をのんで見守っていたのだが、周囲の空気がおかしい。近くにいる子どもは特に注目していない。僕が子どもの頃だったらヒーローを見るように目を輝かせているだろう。周囲の大人もまったく動じていない。
それもそのはずで、この西園のトラック付近は魔窟だったのだ。
ここには特殊なアクティビティをしているひとが沢山いる。
上半身裸で竹刀を振り回している老人を目撃したことがある。白髪で長い髭を蓄えているその風貌は、江戸時代からタイムスリップしてきた剣豪と言われたら信じてしまう。
胴着を着た屈強な男数人が、空手の練習をしている。僕はここで生まれて初めて生のサンチンを見た。刃牙の愚地独歩が行う鉄壁の防御技で、「サンチンッ! 呼ッ!」というかけ声と共に身を固くして金的ですら耐えてしまう。
他にも武術や格闘技だと、太極拳、ブルースリーでお馴染みのジークンドー、ロシアが誇る世界最強の格闘技システマをしている集団を見かけたことがある。調べたら、吉祥寺駅の近くにジークンドーとシステマの道場があったので、練習場として利用しているのだろう。
一度、システマとジークンドーの練習がブッキングしている現場に遭遇したことがある。どっちが強いのだろう。僕はどうにかこのふたつの集団を乱闘させることができないか、脳内シミュレートしていた。僕は子どもの頃からブルースリーが大好きで、彼の映画はもちろん、著作やトレーニング本を熟読している。システマの集団にジークンドーの構えで近づいていき、「アチョー!」という怪鳥音と共に跳び蹴りをお見舞いすれば成功するかもしれない。
武術だけでもこの多様性だ。色んな公園で時々見かけるシャドーボクシングしているお兄さんなんてここでは空気になってしまう。
ボクシングで思い出したが、西園にはあのボクシングの伝説的チャンピオン、輪島功一さんが出没する。朝、自身が経営する団子店のウェアを着てゴミ拾いをしている。
「輪島さん! おはようございます!」と挨拶すると、笑顔と共に「うぇぁあ@@**いい!」と、獣のような声で返事をしてくれる。そんな彼をここ数年見かけなくなってしまった。寂しい……
僕はそんな西園の多様性に紛れているのが大好きだ。異様に落ち着ける。
少し話がそれるけど、吉祥寺について語らせてほしい。
吉祥寺は住みたい街ランキングでいつも上位に位置している。
新宿や渋谷に直ぐ出れるので交通の便が良い。駅周辺は栄えていて一通り何でも揃う。おしゃれなカフェや飲食店が多い。単館系の映画館やライブハウスもある。駅のすぐ南側には広大な井の頭恩賜公園が広がっていて自然豊かだ。上位に入る理由はそんなところだと思う。
そんな吉祥寺に引っ越してきて三年間ほどは、吉祥寺が好きではなかった。
結局金がないとなにも享受できないクソみたいな街という印象だった。
結局僕は、貧乏人の味方であるドンキホーテやロヂャースに通うしかなかった。執筆場所と言えば、ドトールやマックやコーヒーおかわり自由のミスドになる。こうなると別に吉祥寺でなくてもいい。
吉祥寺には以前住んでいた高円寺のような包容力がなかった。高円寺には安くてお腹いっぱい食べさせてくれる個人飲食店があり、ふらっと立ち読みできるユニークな本屋が沢山あり、気軽に遊びに行けるライブハウスやクラブが沢山ある。駅前では偏った思想の活動家が演説しているが、誰も気にせず受け入れている。ある日、都知事選に出馬した有名なアナーキスト・ファシストの活動家とその仲間が路上飲みしていて、僕はいつの間にかそれに混ざり、すっかり意気投合してしまった。しかし、貧困者や民族差別のヘイト演説をする政治家がいれば、どこからともなく真っ先に怒号があがり、一触即発になる。
なんて心地が良いのだろう。街全体が僕のような根無し草に水を与えてくれる。いつまでもここで生きていても良いと言ってくれているようだった。
そんな心地の良い場所は吉祥寺にもあった。それが井の頭公園の西園だった。
ここには様々なアクティビティをしているひとたちがいる。上裸で身体を動かしていても誰も苦言を吐かない(というか裸のおっさんなんてそこら辺の芝生に沢山転がっている)。彼らはそれぞれを尊重して、なるべく他人を排除しようとしない。そんなことをしている暇があるなら自分のやるべきことをして楽しんでいる。ここはアクティビティ部門の高円寺なのかもしれない。
それは僕が迷いながらランニングをしていなければ決して見つけられなかっただろう。
こんなことを書いていたら、西園のトラックを走りたくなってきた。
25周、計10kmをキロ4で走ろう。モチベーションはもう復活していた。

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