ランニングエッセイVol.12「おっさんの遠足、レースの遠征」

インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。

おっさんの遠足、レースの遠征

 電車を乗り継ぎ、集合場所である高尾駅南口のコンビニにたどり着く。重いバッグを地面に降ろす。TさんとIさんが歩いてやってくる。Hさんが車でやってきて駐車する。四人で挨拶を交わしてコンビニに入る。
 飲み物を買おうとしたら、クラフトビールが目に入った。レース前一週間は禁酒しているので、酒に飢えている。切実に飲みたい。だがここで飲んだらすべてが水泡に化しそうで怖い。我慢する。
 今日の20時にスタートする100マイルレースを完走し、キンキンに冷えたビールを飲む姿を想像する。きっと悪魔的に美味しいことだろう。それを褒美に頑張ろうと誓う。

 Hさんが運転する車は出発する。40歳すぎのおっさん四人が暑苦しく詰め込まれている車内は護送車みたいだけどみんな笑顔だ。
 それぞれの近況報告をする。最近出たレースの話をしたり、いま会場へ向かっているONTAKE100の対策を話したりする。話題はそれぞれの仕事や家庭の話にまで及ぶ。それぞれなんとか仕事と家庭とのバランスをとってトレーニングをこなし、このレースに挑んでいるんだなとその背景が垣間見れて面白い。
 ONTAKE100が行われる長野県王滝村まで約200kmも離れている。開催日は大体連休初日なので高速道路も混んでいる。渋滞に巻き込まれながらもSAなどに寄り道しながら進んでいく。おっさんらしく無駄にアイスクリームを食べる。ようやく高速を降りると、もう14時過ぎになっていた。
 塩尻市の定食屋に入る。僕はそば大盛りと唐揚げ定食を頼み、余裕で完食する。みんな信じられないくらいの量の定食を食べている。ランナーは大食いが多いし、レースに向けてカーボローディングもしなければならない。

 下道を進んでいって途中にある大きなスーパーに入る。
 レースのデポバッグに入れるものや、レース後に補給するものを買い込む。四人のおっさんは慎重に選んでいる。レース中やレース後はまず間違いなく体調が悪くなっていて、食べられるものが限られてくるからだ。
 Hさんは「これ食べられるかなー」と不安げにゼリーをカゴに入れている。
「いけると思いますよ」と答える僕もレース前に食べるおにぎり、そしてレース後に食べる予定のゼリーや豆乳や焼きそばパンをカゴに入れる。パンは賭けだ。もしかしたら食べられるかもしれない。これから車内で食べるアイスも買う。いつもアイスを食ってる気がするが気にしない。
 店内を物色していると、数年間会っていなかった地元東京のランナーと遭遇する。どうしてこんなところに……
「え!? もしかしておんたけ出るの?」
「出る出る。今買い出ししてんの」
「同じだよ」
 お互いに吹き出している。つまりまったく同じ行動をしている。つまりお互いにレースに順調に出ているくらい変わりがないのだと安心する。詳しく近況報告なんてしなくてもわかる。

 ひたすら下道を進んで会場へ向かう。霊峰の奥深くへ入っていく。同じ方向へ進んでいる車はすべて会場へ向かっている選手の車に見えてくる。
 会場に近づいてくると、高揚感が出てきてテンションが上がってしまう。大会の旗が見えてきて、更にテンションは上がる。
 駐車場に車を止めてレースの受付を済ませる。ブースをうろついていると、SNSで繋がっている関西、中部のランナーと遭遇する。SNSでは気があってよく話してるけど実際に会うのは初めてのひとと話す。会うとより話は弾む。お互いの距離がぐっと接近する。楽しすぎて饒舌になってしまう。レースってこの瞬間が一番楽しいのかもしれない。
 それにしてもレース会場で会うひとたちはどうしてこんなに魅力的に見えるのだろう。きっとみんな覚悟の決まった顔つきをしているからだ。それぞれの限界にこれから挑戦するからだろう。すごく主体性がある。だから表情が生き生きとしている。

 その日の20時にレースはスタートする。
 怪我明けで完走はまず不可能だと思っていたが、翌日20時前の制限時間ギリギリにフィニッシュする。
 僕は満身創痍で完全に廃人になっていた。預けた荷物を受け取り、会場内にあるシャワーを浴びなければならないが、身体はまったく動かない。実はまだ体力は余裕があるが、脳は完全に放電状態で落ちかかっていて、その手順が理解できないのだ。
 温かくゴールで迎えてくれたHさんやTさんが介抱しながらその手順を教えてくれる。手荷物からタオルや着替えを取り出し、シャワーで使う小銭を用意しなければならない。そう教えてくれるが、こんな基本的なことが複雑怪奇に思えて、頭が真っ白になってしまう。どうしても手順を記憶できない。記憶を保持できない。
 それでも休憩を挟んでなんとかシャワーを浴びて着替えることができた。

 Hさんの車に這這の体で乗り込んで帰路につく。
 往路の高揚感はすっかりなくなっていた。今ではそれは安堵感に変わっている。
 僕はレース中から悩まされていた吐き気に再び見舞われていた。途中で停まってもらって公衆トイレで吐くと少しすっきりする。
 夕飯をどうするか相談する。僕はとてもじゃないが気持ち悪くて食べられない。しかし補給は必要だ。実際、体内エネルギーが枯渇して寒さを感じていた。
 みんなでファミレスに入る。メニューが豊富なので、なにか食べられるものが見つかるかもしれないからだ。
 僕はメニュー表を眺めているが、ハンバーグを目にするだけで気持ち悪くなっていた。何度かメニュー表を往復して、なんとか食べられそうなサラダとコーンスープを頼む。意識の高いダイエット中のOLみたいなメニューになってしまった。吐き気と相談しながらゆっくりコーンスープを飲む。身体に染み渡るように入ってくる。


 ふとテーブルの端に置いてあった小さなPOPを見ると、汗のかいた美味しそうなビールの宣伝だった。つい吹き出しそうになる。フィニッシュしたらビールを飲みたいと思っていた自分を思い出したからだ。今、ビールなんて飲んだら確実に吐く。
 それにしても、勝利の美酒がまさかコーンスープだったなんて……
 でも僕は不思議と惨めな気持ちにならなかった。それどころか圧倒的に充足していた。これで明日から日常でまた生きていける。そんな気さえしていた。

 この年以降、HさんとTさんとは四年連続でONTAKE100に通っている。もはや恒例行事――いや、中毒になっていた。いつまでもこの平和なおっさんの遠足が続くように祈っている。

江西 祥都江西 祥都

江西 祥都

ゲームやCMの脚本家、小説家、ライターです。 引き籠もって執筆中にあまりのストレスで山に逃走。山でも走り続け、後にこれがトレイルランニングだと知る。 現実逃避をし続け、今ではフルマラソンサブ3、100マイルトレイルレース上位5%のリザルトに……。沢登りやクライミングもします。 ライティングの依頼がありましたらお気軽にお問い合わせください。

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