インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。
上裸先輩
12月のクソ寒い日に走っていて、公園の鉄棒で懸垂しようとしたら目を剥いた。
上裸の老人ランナーが佇んでいたからだ。
下半身はピチピチのタイツを履いていて、股間はもっこりとしている。この寒さなのに鳥肌は立っていないし震えてもいない。
彼がどうして佇んでいるかといえば、遊具で遊んでいる子どもをじっと眺めているからだ。どう控えめに見ても不審者にしかみえない。冬の公園はひとけがなく、犯罪前の空気感は増幅している。
僕は暑いと感じると上裸で走る癖がある。ひどく暑さに弱いのだ。近年の日本は明らかに亜熱帯化していて、春と秋が極端に短く、ずっと暑い。だから年間8ヶ月くらいは上裸でジョギングしている。生粋の上裸ランナーと言っても過言ではない。かといって、寒さに強いわけではない。むしろ弱い。持病の冬期うつに苦しみ、走れないことが多いし、走れても長袖にウインドシェルを着込んでロングパンツを履いている。この日も確か厚着で走っていた。
僕が上裸で走っているときに、この老人とは何度かすれ違っている。そのたびに、仲間意識が強固になっていった。走るために生まれたような刈り込まれた体躯と、そのもっこりを恐れない攻めたショートタイツスタイルに感服していた。手ぶらなのも男気がある。
僕はこれでも結構気を使って上裸で走っている。気を使っていたら東京23区内である杉並区で上裸で走らないだろと突っ込みを入れられそうだけど。
両隣に誰が住んでるかイマイチ不明だけど、一応近所に配慮し、家を出るときはボタンシャツを羽織っている。自宅から徒歩一分の玉川上水に出るとすぐにシャツを脱いで、腰とランニングパンツの間に挟む。途中、コンビニやトイレに寄りたくなったらすばやくシャツを取り出して羽織ってボタンを留めて入っている。これが普通のTシャツだと汗に貼り付いて上手くいかない。ボタンシャツだとこの動作が走りながらでもスムーズに行える。
上裸で走っていて、警官に職質されないかとよく質問される。これは、本当にされない。年間150日以上、上裸で走ってるけど一度もない。わいせつ罪に抵触しないし、この男はジョギングしている地元民だと認識されているからだろう。だから僕は止まらない。ランナーは止まったらただのひとになってしまう。長く止まるときはシャツをすぐに羽織っている。
あの日、上裸の老人ランナーは止まっていた。しかも子どもを凝視していた。
だから、彼はかなりまずいのではと感じていた。だけど、立ち去ってしまった。穏やかに「寒くないんですか!? すごいですね!」とかなんでもいいから話しかければ良かった。僕は本当にこの日のことを悔やんでいる。
なぜならこの日を境に彼のことをずっと見かけないからだ。彼は捕まってしまったのかもしれない。もしかしたら捕まっても、警察に服装の指導をされて今は服を着て走っているのかもしれない。僕は彼の顔を覚えていないから(僕は人の顔と名前を覚えるのが本当に苦手だ)、彼だと認識できていないだけかもしれない。そうだといいなと願っている。
でもどちらにしろ、極寒のなか上裸で走る彼は消え去ってしまった。僕の半身が失われた気がする。老人になったら彼のようになるかもしれないと思っていたからだ。その消失感が耐え難かった。
冬に上裸で走るのはありえない。
ずっとそう思い込んでいたが、老人が失踪した今では、僕でもできるかもしれないと思い始めている。
こんな説がある。
カリウム豊富なバナナを食べ、上半身裸で太陽に向かって走り続ければうつはよくなる。実際、夏はそうしている。太陽に照らされた身体から噴出する汗と共に凄まじい量のビタミンDが生成されているのが分かる。冬はそれができないから、サプリで大量のビタミンDを摂っている。でもあまり効いている気がしない。気分はいまいち晴れない。
できるかもしれないではなく、一度やってみるべきなのだろう。死ぬほど寒いけど死なないだろう。最近はめっきり遭遇しなくなったけど、幼い頃は上裸の乾布摩擦爺さんをよく見かけた。
これが習慣化したら、あの老人になれる。やはり彼は未来の僕の姿なのかもしれない。

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