ランニングエッセイVol.38「これが一番速いので」シューズの遍歴

インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。

これが一番速いので」シューズの遍歴

「これが一番速いので」
 サンダルランナーのHさんは長い髭を撫でながらそういった。
 これとはサンダルを指す。
 僕は既成概念を揺さぶられて、頭が一瞬真っ白になる。

 話の流れは詳しく憶えていないが、お互いレースを完走し、安堵の中での長話だったと思う。
 Hさんはこのとき、参加者の多いメジャーレースで年代別入賞をしたか、上位のリザルトを残していた。
 僕はおそらく、このときかなり失礼な質問をしている。
「普通にシューズ履いてたら、もっと成績良かったんじゃないですか?」
 そんなことを言ってしまった可能性がある。
 僕には経験則による強固な思い込みがあったからだ。

 僕は今回のエッセイでランニング歴約15年間のシューズの遍歴を書いていこうと思っていた。
 シューズを替えていったきっかけを思い出そうとすると、今までの認識や価値観が塗り替えられたり揺れ動いたりした記憶がもれなくセットになっていた。

 再三エッセイで言及しているが、僕は「クリストファー・マクドゥーガル/BORN TO RUN(NHK出版)」(以下BTR)を読んで本格的にランニングを始めた。
 BTRはとにかく面白い!(おもわず語彙が貧弱になってしまうほどに)
「裸足で走れば故障しない。シューズは高くなるほど故障しやすくなる」、「南米のサンダルで走る少数民族ララムリがウルトラトレイルランニングのレースで無双」、「距離が増えるほど女性ランナーは男性ランナーに肉薄する」、「ヴィーガンでも工夫次第でトップ選手になれる」など、常識が覆される事象が山盛りで語られ、ひとつの物語に収束していく。
 僕がBTRに惹かれた一番の理由は、筆者が「どうして自分の足は走るたびに痛むのか」を追求する物語だったからだ。
 鮮烈に印象に残っている一文があるので紹介したい。

――以下引用

 スティーブン・ロビンズ医学博士とエドワード・ワケド博士が体操選手を対象に一連のテストを実施した。その結果、着地用のマットが厚いほど、選手は強く突き刺すように着地することがわかった。彼らは本能的に安定性を求めていた。着地面がやわらかいと感じると、バランスを確保するために強く足をたたきつけるわけだ。ランナーも同じことをしている、とトビンズとワケドは気づいた。氷の上で足をすべらせると無意識のうちに腕が上がるように、足の下にふわふわしたものがあるのを感じると、脚と足は本能的に強く踏ん張る。クッションつきのシューズで走れば、足は硬い安定した踏み台を求めて靴底を突き抜けようとするはずだ。
 「バランスと垂直方向にの衝撃には密接な関係があるとわれわれは結論づける」マギル大学の博士たちはそう書いている。「われわれの発見によれば、現在入手可能なスポーツシューズは……やわらかすぎ、分厚すぎる。人間の運動機能を保護することが目的なら、設計を改めなければならない」

――引用終了

 僕はBTRを読む前からランニングの有用性に気づいて走り始めていて、その楽しさは感じていたが、怪我を恐れていまいち踏み出せずにいた。
 走り始めた頃、よーし走るぞ! と気合いを入れて、評判が良い「アシックスのゲルフェザー」というランニングシューズを購入した。その名のとおり羽が生えてるんじゃないかと錯覚するほど軽かった。その軽さとフィッティングのよさに感動して猛烈にダッシュし、わずか4kmで膝が壊れてトラウマになっていた。
 こんな過去がある僕にとって引用した文章は苛烈な印象を残した。
 硬い地面を求めて衝撃がシューズを突き抜けるという構図がしっかりとイメージできたのだ。
 BTRの教えのとおり実際に裸足で走ってみると衝撃がダイレクトに伝わるのでそっと脚を置き地面を押すようになる。クッションが多いシューズを履いていたときは踵から接地して蹴るように走っていた。これなら怪我をしそうにないと身をもって実感できた。なにより足裏のセンサーをフル動員して走る感覚は心地がよかった。

 ならばずっと裸足で走ればいい。
 でもそうはいかなかった。

 問題なのはBTRを読んで、トレイルランニングの100マイルレースを走破したり、作中に出てくる有名なトレイルランナーや走る山岳民族ララムリのように速く走りたいと思ってしまったからだ。
 裸足ではトレイルを走るのは難しい。石を踏んだり、木の根に躓くだけで怪我をしてしまう。街中では難易度が下がりそうな気がするがそうでもない。夏場のアスファルトはやけどするほど熱いとわかったし、芝生ではどこにガラス片などの鋭利なものが落ちているか分からない。
 ならばと、ララムリのようにランニング用サンダル「ワラーチ」を作って履いたり、極限までプロテクトをそぎ落とし五本指ソックスのような形をしている「Vibramのファイブフィンガーズ」を履いていた。
 それでもまだトレイルを走るのは難しかった。どうしてもスピードは落ちてしまう。
 当時、この矛盾を解消しようと、薄底のトレランシューズが大量にリリースされていた。特にVivobarefootやInov8といったメーカーのシューズやニューバランスのミニマスは流行っていた記憶がある。薄底で軽く最低限のプロテクトがほどこされているこれらのシューズは僕も購入して履いていたが、中途半端に厚みがあるので普通のシューズのように雑に足を置いてしまい、かえって故障してしまう。
 結局しっかりプロテクトされているSalomonやAdidasのトレランシューズを履いてレースに出て、練習では裸足で走ったり薄底のシューズを履いていた。
 レースではサンダルランナーを時折見かけた。そのたびに同志のように親しみが湧いた。
 でも、走力が上がって上位のリザルトで走れるようになると途端に見つからなくなった。やはりサンダルで速く走るのは難しいのだろう。
 僕はサンダルで走る楽しさより、競技的な速さをとったのだ。

 その後、HOKAを嚆矢とした厚底ブームがやってきて、現在でもその流れは続いている。マラソンで人類初の2時間を切ったランナーもAdidasの厚底シューズを履いていた。
 僕もその流れに乗って履いてみたがしっくりこない。厚くふわふわとしたソールは捉えどころがなく、どこに衝撃が逃げているのかわからず不安になる。
 先に述べた「足の下にふわふわしたものがあるのを感じると脚と足は本能的に強く踏ん張る。足は硬い安定した踏み台を求めて靴底を突き抜けようとする」という文章のイメージが脳裏をよぎってしまう。実際、こういったシューズを履いていると知らないうちに疲労が溜まっていて予兆もなく大きな故障をしてしまうようになった。
 だから僕はいつも厚くもなく極端に薄底でもなくドロップもなるべく少なく適度にプロテクションされた無難なシューズを履くようになった。
 日常では上裸で走り、レースではなるべく軽装でハンドボトルを持って走っているのに、シューズだけは呆れるほど保守的だ。

 五、六年前、国内で一番参加者の多い100マイルレース「FUJI100」の前身であるUTMFに出場した。
 そのとき、ララムリのふたりが招待選手として出場していた。もちろんふたりともサンダルを履いて……いない。片方はしっかり最先端のトレランシューズを履いていた。
「え……ララムリですら揺れ動いてるの? 結局シューズが速いのか……」と軽く失望したのと同時に、親近感を憶えたのも事実だった。僕がコンサバに落ち着いてしまった経緯と似てるかもしれないと思ったからだ。
 正確な経緯はもちろん知らない。でもなんとなく想像がつく。
 ララムリは廃タイヤを切って分厚いサンダルを作っている。ではその前はなにを履いて走っていたのだろうか。藁だったり裸足だったのかもしれない。ゴムのサンダルはあくまでも今できる範囲のテクノロジーを採用しただけだ。だからシューズが安価に手に入り、それでレースに出て賞金が稼げるならそのほうがいい。
 でもそれだとみんなが想像する古き良きララムリ像は薄れてしまう。だから片方は象徴となったサンダルで走り、もうひとりは純粋な速さを求めてシューズで走っているのかもしれない。
 きっとララムリは昔ながらのことを淡々とこなしているに過ぎない。そしてこれこそがララムリの精神なのだろう。サンダルという象徴は実は付随している道具にすぎないのではないだろうか。

 Hさんの風貌は独特だ。
 仙人みたいに髭もじゃで人相がよくわからないけどつぶらな瞳は少年のようだ。レゲエぽい雰囲気が漂っているのに極東の島国に住んで南米のサンダルを履いている。すべてがカオスでとらえどころがない。そんなひとはこう言っている。
「これが一番速いので」
 Hさんはどうしてサンダルを諦めずに速さまで追求できたのだろう。
 こんな場所に古き良きララムリの形態は生き残っていた。
 こんな話を思い出した。
 イギリス人の神父がグリーンランドの教会に行ったら、とっくに寂れた伝統的なミサが残っていて、教徒はみな信心深く、古き良きキリスト教はここに残っていたと感動したらしい。それと同様に伝統的なララムリの形態は世界中に散らばって根付いているのかもしれない。

 やはりランニングは履き物が主役なのは間違いない。
 そこにすべてが現れてくる。
 個性や価値観や生き様や信仰心が見えてくる。
 僕がどんなに突飛なスタイルで走っていても、どうにも突き抜けきれていないのは、保守的な思考が根底にあるからだろう。それを受け入れて走っていきたい。

江西 祥都江西 祥都

江西 祥都

ゲームやCMの脚本家、小説家、ライターです。 引き籠もって執筆中にあまりのストレスで山に逃走。山でも走り続け、後にこれがトレイルランニングだと知る。 現実逃避をし続け、今ではフルマラソンサブ3、100マイルトレイルレース上位5%のリザルトに……。沢登りやクライミングもします。 ライティングの依頼がありましたらお気軽にお問い合わせください。

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