ランニングエッセイVol.37「【超有料級】山で愛人を作って不倫する方法(後編)」

インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。

【超有料級】山で愛人を作って不倫する方法(後編)

 海外へ単身赴任中だったN嬢の旦那が帰国するとふたりはあっけなく別れた。
 Tさんは新たな愛人を作るが、僕はなるべく関わらないようにしていた。一緒に遡行していると命の危険を感じるからだ。僕はTさんに自分の感情を正直に伝えられず次第にすれ違いが増えた。
 Tさんはその後、不倫がばれて奥さんとお子さんは出て行ってしまい、せっかく建てた丹沢の麓の家にひとりで住んでいた。久々にTさんとふたりで遡行しようと約束をしたが、僕は気合いが入りすぎ、クライミングジムで練習中に脚を捻挫してしまい、中止を申し出た。
 詫びたがすべての連絡手段をブロックされた。
 謝罪しようにもできない。今まで一緒に遡行したヤマレコなどの山行ログを見返すと、ブロックされているので不自然に彼の名前だけが消えている。
 でも楽しかった谷川岳の遡行の記憶はずっと脳裏に焼き付いている。
 その後、沢仲間にTさんの近況を聞く機会があった。彼もTさんとは疎遠になってしまったらしい。Tさんは持病の腰痛が悪化して沢をやめてしまったようだった。

 イケメンカリスマトレイルランナーは相変わらず僕を浸食して超有料級の山での不倫講座を書こうとする。
 僕は抵抗する。
「お前はイケメンだし実績もすごいから再現性がないんだ! 滑落して遭難しろ!」
 僕は彼を振り払うために、Tさんの生き様から教えてもらった、「容姿が悪くても金持ちじゃなくても誇れるような実績がなくても山で不倫するための超有料級メソッド」を書いていこうと思う。

 Tさんはとにかくリードした。果敢に先頭を進み、滝の登攀ではルートを選定してハーケンを打ち支点を作って登り、後続をロープで引っ張りあげる。そのロープは芥川龍之介「蜘蛛の糸」の天から伸びる糸の如しだ。ロープを張っているTさんに命運が握られているからか、次第に彼が神に思えてくる。
 死を乗り越え大きな滝を登ると前方には新しい世界が広がっている。Tさんはその世界を一緒に開拓してくれる。
 彼と昔に沢を詰め上げていたら、酷い藪漕ぎでとんでもない方向に進んでしまった。密生した石楠花の木を乗り越えながら進むが1時間に10mくらいしか移動できない。
 僕は「ここ絶対に人類で入ったやついないでしょ! 未踏の地!」と絶叫した。Tさんは「熊でも入らない」と爆笑していた。枝に絡まってハマり本気で死にそうだけどこう叫ぶとなぜかやる気が出るし笑えた。
 山には実在しかないし残酷なくらい実力が反映される。そこには彼がそのスキルや経験を駆使して同行者を案内しているという現実しか残らない。こんな純粋な世界があるだろうか。

 僕はこのエッセイを書くに当たって、モテるためにはどうするかみたいなYoutube動画をいくつか観てみた。昨今の恋愛事情からか「マチアプでお持ち帰りするには」みたいな内容が多かった。
 心底くだらない。そこで披露される小手先のテクニックには呆れるしかない。
 なんの能力もないヤリチンに過ぎないのに「格上感」を出せとエセ講師は指南している。容姿を整えてイケメンのフリ、金を持っているフリをして高級店で奢る、投資をして儲けているフリ、モテているフリ……こんなの相手を騙しているだけだ。
 とにかく「余裕」が重要らしい。そういった余裕感が出る振る舞い方や話し方を教えている。
 自分がどういう人間か何が好きか何に夢中になれるのか何が得意かそういったことよりもとにかく恋愛話を持ち出して自然とホテルに入るための雰囲気作りをしろと喚く。こんなのが受けてしまうから、得体の知れないコンサルやエセ医者やうさんくさい投資家が跋扈しているのだろう。
 Tさんのように得意分野でスキルを磨き、その価値をわかってくれるひとを導けばいい。これ以上の説得力があるのだろうか。
 別に危険な沢登りやクライミング能力が高くなくてもいい。トレイルランニングでとにかく脚が速いとか、地図読みの精度が高くて危機管理能力が高いとかなんでもいい。
 実は山なんてどうでもいい。
 実際に自分の行動を見せる。きっと節々に生き様が垣間見える。一緒に楽しく行動していればそのうち自然と打ち解けるのではないだろうか。

 僕は槍ヶ岳にほど近いテン場で午後7時半には寝袋にくるまって目を閉じていた。
 若い男女の話し声がうるさい。夕方見かけたあの若いカップルか、と姿が浮かぶ。彼らは僕のテントより少し高い場所にテントを張っていたから声が降りてきてよく聞こえる。
 ふたりともやたらはしゃいでいる。そしてまたしても微妙な距離感を察知する。その内容に苦笑する。
 マジかよ……こいつらも不倫だ……

 翌朝、5時にテントを撤収して槍ヶ岳に向かおうとすると、山小屋のベンチに三十歳中盤くらいの男が座っていた。挨拶をかわす。小屋の主人や従業員ではない。僕は「槍ってどのくらいで着くんですかね?」などと無理に話題を作って世間話をした。間違いない。夜はしゃいでいたカップルの男のほうだ。
 容姿が整っていて、ロン毛でお洒落な丸眼鏡に口ひげにゆるい行動着とあまりに最近のウルトラライト登山者のモデル染みた風貌で嘘臭いくらいだった。
 このときは、「やっぱり格好いい兄ちゃんはモテるんだな」程度にしか思ってなかったが、これを書いている今ではまったく魅力を感じない。だっせーなとすらおもう。まさに「登山にこなれている感」だけの軽薄なハイカーだ(本当に実力があったらすみません)。これってナンパ師の言う「格上感」となにが違うのだろう。
 そんなもの登山に持ち込んで女遊びしてんじゃねーよ! お前は別に街でもモテるだろ! 山しかなかったTさんに謝れ! お前さ、女をどこに連れて行けるの? ずぶ濡れになってハーケン打ちながら滝登れる? ちょっと重いザック背負っただけで震えてるけどだいじょぶそ? 50mのロープとかバイルハンマー持ってるの? まあ、ウルトラライトだもんな? 持ってるわけないか!
 発狂しそうになる。というか勝手に敵認定して勝手に切れてる被害妄想の僕は確実に発狂している(あ、精神科には通ってるので大丈夫です)。こいつに比べたら、猿っぽい山老人のほうが100万倍格好よくみえる。全身から山屋のコクが滲み出ていてオーラが半端ないのだ。

 Tさんはその生き様で僕にモテの原理や普遍性を教えてくれた。お前の世界を身を持って見せろと。そして槍ヶ岳の近くで山老人をみて、その楽しそうな末路を垣間見ることができた。
 でも申しわけないけど、山でなぞるのはやめておこうと思う。人生が破綻するのが怖い。
 だから、勇気のない臆病な僕はこれを書いているのかもしれない。Tさんが後進に伝えろって言っていたから。
 なんだか荷が降りて、身が軽くなった気がする。

江西 祥都江西 祥都

江西 祥都

ゲームやCMの脚本家、小説家、ライターです。 引き籠もって執筆中にあまりのストレスで山に逃走。山でも走り続け、後にこれがトレイルランニングだと知る。 現実逃避をし続け、今ではフルマラソンサブ3、100マイルトレイルレース上位5%のリザルトに……。沢登りやクライミングもします。 ライティングの依頼がありましたらお気軽にお問い合わせください。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP