ランニングエッセイVol.36「【超有料級】山で愛人を作って不倫する方法(前編)」

インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。

【超有料級】山で愛人を作って不倫する方法(前編)

 私はカリスマイケメントレイルランナーである。美しい妻と子どもと共に山の麓で暮らしている。様々な地方へレースに行けばそれぞれ現地妻がいるので宿はいらない。こんな私に憧れているトレイルランナーは多いと聞く。
 今回のエッセイはどうすれば山を通じて愛人を得られるか、超有料級の情報を惜しげもなく書いていきたい。

 …………はっ!
 なんか今、完全に意識を失っていた。そしてノートパソコンを見るとタイプした憶えのないことが書かれている……
 どうもカリスマトレイルランナーの生霊に乗っ取られて自動書記していたらしい。ちなみにどうして生霊と断定したかというとそういう人物が思い当たるからである(古参のトレイルランナーの中には、「お前攻めすぎだ! 業界に干されるぞ!」と思った方もいるだろう)。もしかすると僕は彼に憧れるあまり、その人格を模倣し始めているのかもしれない。
 僕がこの症状に苛まれたのは、約20日前の北アルプスの縦走を終えてからだ。あるテン場で不倫カップルに挟まれ、僕の封印された記憶がよみがえってきたのだった。

 7月上旬、僕は突然北アルプスへ向かっていた。発狂寸前だったからだ。
 末期癌の親の世話に疲弊していた。僕自身が抱える持病の今後の方針を決めなければならなかった。問題は山積みだ。とにかくゆっくり考える時間が必要だった。
 約10日後に100kmのトレランのレースが控えていることもあり、大きなザックに装備を詰めてゆっくり2、3日歩くことにした。
 中房温泉から急勾配を約二時間登ると燕山荘に到着した。3000m級の山々が連なる稜線は絶景で、とても日本の光景とは思えなかった。表銀座と呼ばれる縦走路は天国への回廊のようだ。
 目的地である槍ヶ岳に向かっていく。あんなエグい出っ張りの頂に立てるのだろうか。不安よりも胸の高まりが勝っていた。
 ただ歩いているだけなのに最高すぎてなにも考えられない。そのうち雷鳥までもが鳴き叫びながら並走してくれる。
 マジか、なんだここ、やっぱりこの世じゃないのかもしれない。
 あまりに楽しすぎて、悩み事があることすら忘却していた。下界のことなんて本当に些細なことだと思えてくる。
 つまり僕は完全に歩く山域を間違えたようだった。

 午後二時前くらいに槍ヶ岳から3kmほど離れたテン場に着き、受付を済ませてテントを張る。すでに三つのテントが張られていた。風雨が防げそうで地面がフラットな場所を選んで張る。少し離れて三人用のテントが張られていて、その前でおそらく60歳前後の老夫婦がテント内の環境を整えたりクッカーで軽食を作っていた。
 挨拶をしてこれまでの行程や行き先を話す。ふたりとも気さくで会話が弾む。それというのも彼らはかなりの熟練者だったからだ。北アルプスを知り尽くしていて、ふたりであらゆるルートを歩いたらしい。男性のほうはバリエーションルートどころかバックカントリースキーや沢登りやアイスクライミングもするらしい。
 会話が弾むなか、女性が男性に対して時々敬語になるのに違和感を憶えた。僕に対してはずっと敬語だから切り替えが上手くいっていないのかとおもったがどうも違う。明らかな距離感がある。その割にふたりは様々な山域に一緒に行きすぎている。テントも一緒だ。この会話の後、ふたりはテントを締め切ってマッサージをしていた。漏れ出る嬌声に最初は性行為をしているのかと勘違いして、僕は気を使って景色を見に行ったり山小屋のトイレに行ったりした。戻ってくると誤解だと判明したが、あんなの実質セックスだった。いや、ふたりの性欲はとっくに枯れていたのかもしれない。それ以上に明日の山行に向けて癒やし合うという性行為以上の強固な結びつきを見てしまった気がした。
 マッサージの施術を終えた男性とまた話をした。
 男性はいかにもな山屋といった風貌で、刈り込まれた痩躯がよく日に焼けていた。イケメンではなく正直日本猿ぽい風貌だが、その山は知り尽くしていると言わんばかりの余裕が全身から溢れていて魅力的だった。こんなジジイになりたいと思うと同時に、このひとはモテると確信した。
 あの女性は愛人のひとりに過ぎないのではないだろうか。
 そしてこのジジイに強い既視感を憶えたのだった。
 いまは行方不明の沢登りの師匠にそっくりだ……

 僕は過去、結構危険な山行をよくしていた。
 ランニングはトレイルランニングから入った。山にまったく抵抗がなかったからだ。
 父親が源流釣り(実質沢登り)をしていたり、子どもの頃によく谷川岳の一ノ倉沢がよく見える沢に連れて行かれてスノーブリッジを歩いたり、中学生になると谷甲州や夢枕獏の山岳小説を読み漁ったりしていた。
 トレランで体力が付いて様々な山を走るようになると、一般登山道を踏むことに飽きてしまった。どれも同じようにしか見えなかったし安全すぎたのだ。どうぞ歩いてくださいといわんばかりに整備された登山道はありがたいが、自分の意思ではなくこの道を進まされてるだけではないのかと疑心が湧いてしまった。
 服部文章氏のサバイバル登山に影響を受けて沢登りをするようになり、読図やクライミング技術を磨き、焚火の仕方、テンカラ釣りの方法などを試行錯誤する。
 沢登りに取り憑かれたが、ひとりだとスペランカーみたいにすぐ死ぬ。最初は高額な料金を払って山岳ガイドにロープワークやクライミングの方法などを教えてもらっていたが費用がかさむ。そこでFacebookの沢登りコミュニティに入って教えてくれそうなひとにコンタクトを取った。
 それが沢の師匠Tさんだった。
 Tさんは同い年だったが沢歴10年以上のベテランだ。既婚で子どもはふたりいるらしいが、そうとは思えないほどヘラヘラしていて軽薄だ。
 すぐに意気投合し、丹沢、南アルプス、奥秩父、谷川岳などあらゆる沢を遡行した。そのうち僕のスキルも自然と上がっていって、二年後にはソロでも3級上のグレードの沢を遡行できるようになった。
 彼と比較的難易度の低い沢へ入るとき、女性が同行することが多々あった。彼は沢登りに興味がある女性を探し、積極的に声を掛けて愛人を探しているヤリチンだったのだ。
 彼は言う。果敢に滝を登る姿を見せ、ロープで引っ張り上げていると「頼りがいがある! 素敵! 新しい世界を見せてくれる!」となり惚れてしまう女性はそれなりに出てくるのだと。
 実際、彼の登攀スキルは高く面倒見が良いので説得力があった。
 彼は背が低く短足で顔もはっきりいってぱっとしない。街で見かけたらただのメガネを掛けたオタクだ。ごめんちょっと言い過ぎた。でも彼は自分でそれを自覚していて「俺には沢登りしかない。これを武器にするしか女を作る手段はない」と常々口にしていた。
 沢で愛人を作ると一年続くこともあれば一月ほどで別れてしまうこともあった。一回やって捨てていることもあった。僕は女性たちが正直足手まといだと感じることが多いので冷ややかに観察して時には苦言を呈していた。今思うと焼き餅をやいていただけかもしれないが。
 比較的続いた愛人N嬢だけは別で、僕は自然と気を許していた。その理由は単純に登攀能力が高くて下手すると僕よりも登れるからだ。死を覚悟する登攀を一緒に何度も乗り越えているといつの間にか掛け替えのない仲間になっていた。
 Tさん、N嬢、僕の三人で、谷川岳周辺の沢を三日間遡行しまくった日々を僕は決して忘れない。
 Tさんにしっかりリードされて50m級の滝を何度も登攀し、突然現れた1m以上のサンショウウオに抱きつき、甘いネマガリダケを取りまくって食べ、高巻きした悪いルンゼで自動車くらいの落石が転がってきて死にそうになったりもした。

      滝を登るTさんとN嬢


 その日の遡行が終わると、土地勘のあるTさんは行きつけの温泉や居酒屋を案内してくれた。下山してからも至れり尽くせりで、Tさんがお父さんだったら良かったのにと思うほどだった。
 最終日の夜、焚火を囲んで三人で夜空を見ていたら、Tさんが教えてくれた。
「俺にも師匠がいたんだよ。師匠に教えられたことをNやあなたに教えているだけ。もっと登れるようになったらさ、他の人にもおしえてやってよ」
 後に知ることになるが、それは沢登りの技術だけの話ではなかった。彼の生き様そのものの話だったのだ。
 Tさんの家庭はその後、崩壊するからだ。

【超有料級】山で愛人を作って不倫する方法(後編)へ続く
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江西 祥都江西 祥都

江西 祥都

ゲームやCMの脚本家、小説家、ライターです。 引き籠もって執筆中にあまりのストレスで山に逃走。山でも走り続け、後にこれがトレイルランニングだと知る。 現実逃避をし続け、今ではフルマラソンサブ3、100マイルトレイルレース上位5%のリザルトに……。沢登りやクライミングもします。 ライティングの依頼がありましたらお気軽にお問い合わせください。

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