ランニングエッセイVol.34「サブスリー中年ランナーの日課ジョギングログ(前編)」

インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。

サブスリー中年ランナーの日課ジョギングログ(前編)

 2026年6月下旬の朝。目覚めると陰茎は剛直に屹立していて痛いほどだった。こみ上げる尿意を解消するためトイレに入るとショーツと寝間着の短パンを下ろし便座に深く座って前傾気味になり屹立した陰茎をぐっと押さえ込んで尿を放出する。こうすれば勃起していても座ったまま小便ができる。江西は座りション原理主義者である。立ちションはどんなに気をつけていてもしぶきで汚れるので不衛生だ。過去に立ちションでも絶対に汚れないようにするにはどうすればいいかと試行錯誤したことがある。極限まで股を開きしゃがみつつ陰茎を抑え込んで放尿したところかなり強度の高いスクワット状態になり脚はぴくぴくと痙攣するほどで、これなら素直に座ってしたほうがいいとわからされた。この世に生を受けてから自活するまで母と姉ふたりと不在がちな父という家族構成だったのも大きな要因で、自然と女性陣の生活様式に屈する形になりそれが習慣になってしまった。
 排尿と共に糞もついでにひり出した江西はすっきりした表情を浮かべてショーツだけ履き直す。このランニング用のショーツは薄くて肌触りがよいのでいつも着用している。寝間着は汚れていたら洗濯機に入れ、まだ履けそうならベッドに放り投げておき夜に再び履く。貧乏性で実際貧困に喘いでいるので洗濯頻度はなるべく減らしたい。
 顔を洗ってコンタクトレンズを入れる。マグカップに少量の水を注ぎインスタントコーヒーを入れて練るようによくかき混ぜて溶く。こうするとお湯で溶くより香りが引き立つ。豆乳を注いでソイラテにして飲む。牛乳よりも腹に優しくなによりいくらか安価だ。朝から豆を挽いたりドリップをするのは面倒なのでインスタントコーヒーに落ち着いている。水分補給と目覚めのためなのでこれで十分と割り切っている。
 バナナを一本食べてからマルチビタミンの錠剤を残ったコーヒーで流し込む。だらだらとSNSをしたりYouTubeの動画を眺めながら身体に力が入るのを待つ。生来夜型で朝に弱い江西は動けるまでに30分くらいかかってしまう。このままインスタントのドーパミンを流し込みまくる怠惰に溺れそうになるが、江西は突然思い出したかのように立ち上がってTシャツを脱いだ。こうすると下半身もショーツ一枚なのでもう着替えるしかなくなり退路を断つことができる。
 ランパンを履いてランニング用の半袖ボタンシャツを羽織って靴下を履く。ランナーの中には起きたらすぐに走り出せるようにランニングの服装で寝るひとがいると聞いて試したことがあるが睡眠の質が落ちている感じがしてやめた。やはり快適な格好で眠りたい。ランパンの腰ポケットにスマホを入れて玄関に移動する。ここにある棚に日課のランニングに必要なギア類はすべて揃えてある。骨伝導イヤフォンを耳に掛けて電源を入れる。日光を遮る大きなハットを被ってツバにサングラスをのせる。ランニングウォッチを腕に巻いてGPSを捕捉するためのボタンを押す。シューズを手に取る。靴紐はちょうどよく調整されたスリッポン状態になっているからストレスなく履いて出発できる。
 アパートの玄関を出て階段までの通路を歩く。向かいのアパートの狭い軒下で白黒猫が寝ていた。手すりをこんこんと叩き舌をチチチと鳴らすと猫はだるそうに目をあけてこちらを一瞥した。この猫は警戒心が強いが5年以上も根気よく話しかけ続けた結果懐柔に成功し今では近所を一緒に散歩できるまでになっている。もう少し手懐けて猫ランニングをするのがささやかな夢だ。
 一階に降りるとGPSの電波はすでに捕捉できていた。ランニングウォッチの開始ボタンを押して走り出す。すぐに住宅街を抜けて玉川上水に出て川沿いを杉並区の久我山方面に向かって走る。
 路面は土で雨が降るとすぐに泥濘む。川に沿ってクヌギ、コナラ、ケヤキなどの種類豊かな広葉樹が生い茂っていて、よくここからカブトムシ、クワガタ、オオミズアオなどが我が家に飛来し忘れかけた少年心をよみがえらせてくれる。大量のカメムシも飛来するがこいつらは強力な殺虫スプレーで一匹残らず虐殺する。木々は鬱蒼としてるほどで陰が落ち周囲と比べると明らかに涼しい。太宰治が入水自殺した地点が近く今でも彼の死体が浮かんでいそうなおもむきを感じる。三鷹市の太宰推しは鬼気迫るものがある。当時の環境を維持しようと躍起になっているのだろう。
 そんな心地のよい遊歩道を走る。体調の違和を感じ取れるように最初はとにかくゆっくり入る。昨日は高尾山域での高負荷の練習をこなしたばかりだったが、ひとまず体調面での不調や身体の痛みはなさそうだ。
 骨伝導イヤフォンの再生ボタンを押してオーディブルを聴く。距離約15km、運動時間約90分に及ぶジョギングにオーディブルは欠かせない。単純に飽きてしまう。だいたい既読の小説や流行っているエンタメ小説を聴いている。ラインナップは豊富で純文学も数多く聴けるが、紙媒体であることを前提とした緻密な文体を堪能するのが難しいために避けている。映画を劇場ではなく自宅の貧弱な環境で観るがごとくで楽しめない。再生速度はせっかちな質なので基本的に二倍にしており、物語の方向性や登場人物を把握したら三倍まで上げている。
 玉川上水は途切れて暗渠になり国道14号線に出る。巨木の傍らに祀られている道祖神に一礼する。14号線沿いはアスファルト舗装されており照り返しで暑く汗が滲み出てくる。走りながら慣れた手つきでボタンシャツのボタンを外し脱いで軽く畳みランパンと腰の間に挟んで上裸になる。Tシャツやタンクトップではこうはいかない。サングラスを掛ける。風を胴体に受けると圧倒的に涼しくタンクトップなど比較にならない。世界に直に触れている気さえする。上裸ランニングは風当たりが強い気がするが実は法律に抵触していない。現に警官のすぐ脇を通っても一度も職質に合っていない。つまり完全に合法でありその範囲内で環境を快適にしようと工夫しているだけだ。長年上裸で走っているが直接苦言を呈してきた人間は誰ひとりとして存在しない。おそらく日焼けした黒い裸体を汗でテカらせながら走るゴキブリさながらの無敵じみた中年男性に声をかける勇気がないだけだとは思うが。
 この上裸スタイルに移行した江西はいよいよジョギングのギアが入りペースは安定してくる。このときにしっかり体調を見極めて走る距離を決める。いつも通りの1km5分半ペースで身体も重くないので15km走ることにする。これが30秒遅い場合は10km、1分以上なら7kmなど距離に応じて柔軟にコースを変えている。不調時に無理に走っていると次第にアドレナリンが出て躁になり脚が軽くなってしまうのでこのときに見極めるしかない。こういった体調管理方法が確立されていないと故障せずに毎日ジョギングすることは難しい。
 巨大な敷地面積を誇る高井戸公園に入るとテニスコートとサッカー場を通りすぎ道路を挟んだ先にある広大な芝生の周囲をまわる。途中の水道で水を飲んで顔を洗って冷やす。こうすると顔の日焼けを防げる(顔以外の部位はあきらめている)。ジョギングコースに水道は沢山あるのでこうして頻繁に顔を冷やしている。日焼け止めを塗るのは走る前の面倒な行程がひとつ増えることになり走るのが億劫になってしまう。走る途中で済ませられることはなるべく後回しにするのが習慣化のコツだろう。
 公園を抜けるとすぐに神田川に差し掛かり、川沿いを永福町方面へ向かって走る。
 川は完全に護岸されており、それに沿う遊歩道もすべてアスファルトになっている。灼熱で蚊すら飛んでいない。一瞬でも止まると全身をボコボコに刺される玉川上水との差は歴然だ。やはり連日40度になる東京の酷暑は過度なアスファルト整備によるものだと確信する。こんな悪政に付き合っていられない。やはり上裸になって暑さから身を守るしか道は残されていない。


 サブスリー中年ランナーの日課ジョギングログ(後編)へ続く。
 https://inner-fact.co.jp/8689/

江西 祥都江西 祥都

江西 祥都

ゲームやCMの脚本家、小説家、ライターです。 引き籠もって執筆中にあまりのストレスで山に逃走。山でも走り続け、後にこれがトレイルランニングだと知る。 現実逃避をし続け、今ではフルマラソンサブ3、100マイルトレイルレース上位5%のリザルトに……。沢登りやクライミングもします。 ライティングの依頼がありましたらお気軽にお問い合わせください。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP