The Barkley Marathons:Look Back

どうもだーまえです。
今回のブログでは、私が参加した「バークレーマラソンズ(The Barkley Marathons)」のレースレポートをお届けします。
参加したのは2026年の2月。
そしてこのブログを書き終えたのは、8月。
半年もの間なにやっていたのかというご意見はごもっとも!

旬を過ぎた話題で恐縮ですがよければご一読ください。。。


このレースは、日本ではまだそれほど認知されていませんが、欧米をはじめとする海外では絶大な人気とカルト的な注目を集める大会です。しかし、詳細な情報は極めて少なく、レースの全貌をご存知ない方も多いのではないでしょうか。

英語での情報は比較的入手しやすいものの、日本語でのまとまった情報は依然として不足しています。
そこで、今後挑戦を目指す日本人ランナーのためにも、記録としてここに書き残しておくことにしました。

このレースが持つ唯一無二の魅力、面白さ、そして逃げ出したくなるような「恐怖」。
それらが少しでも皆さんに伝われば幸いです。
まずはレースの概要から触れていきましょう。

大会概要

全ての始まり。ブラッシィ・マウンテン刑務所跡

バークレーマラソンズは、アメリカ・テネシー州のフローズンヘッド州立公園で開催される招待制のトレイルイベントです。主催はゲイリー・カントレル(通称 ラズ)です。

バークレー・マラソンズを端的に表すとしたら「慈悲に溢れた人体実験」
その真意は後から話すとして、このレースが生まれたきっかけからお話しすることにしましょう。

1977年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺犯であるジェームズ・アール・レイが、テネシー州のブラッシィ・マウンテン刑務所から脱獄した事件でした。彼は55時間逃走したものの、険しい茂みに阻まれ、わずか13km(8マイル)地点で身柄を確保されました。

このニュースを聞いた創設者のラズは、「自分なら少なくとも100マイル(160km)は行ける」と鼻で笑ったと言う。その不遜な一言から、1986年、世界で最もサディスティックなレースが産声を上げました。

レース概要:過酷なルール
バークレーは、一般的なウルトラマラソンの常識が一切通用しません。コースマーキングもなければ、GPSの使用も禁止。エイドステーションすら存在しません。(コース上に水が投げ捨てられているだけ)
完走率: 約40年の歴史の中で、完走できたのはわずか20人ほど。完走率は1%以下。
出走人数:40名(噂では40名の定員に対して倍率が100倍以上と言われている)
距離:説明では 約100マイル(20マイル×5周)とされるが、実際には130マイル(200km以上)と言われている。
累積標高: 約22,000m。通常のレースでは考えられない斜度で登り降りを繰り返す。
コースの特徴:登山道と言われる部分は全体の30%程度。それ以外は人の踏み跡すらない藪を含むオフトレイル。藪と暗闇で自分が今どこにいるのか把握することは難しい。目標物が何もない山中を彷徨うことになる選手が続出する。
通過証明: コース内に隠された「BOOK」を見つけ出し、自分のゼッケン番号と同じページを破り取らなければならない。

このレースを唯一無二、かつ「世界一過酷」と言わしめるのは、既存のマラソンの常識を覆す数々の謎ルールにあります。

まず、スタート時間が決まっていません。 スタートの合図は、レース開始時刻の1時間前に鳴らされる「法螺貝(ほらがい)」の音。そして、主催者がタバコに火をつけた瞬間が正式なスタートとなります。

ラズがタバコに火をつけてスタートするシーン:2025年撮影

さらに、コースの全貌を示す「マスターマップ」が公開されるのはレース直前。ランナーはそれを見て、自分の地図にルートを書き写さなければなりません。コース上には標識など一切なく、公園内の既存のトレイルを外れた道なき道を進むことが求められます。

万が一、途中で心が折れても、誰かに助けを求めることは固く禁じられています。リタイアを告げるのは、ベースキャンプに戻ってから吹かれる「タップス(葬送ラッパ)」の音だけです。

こうした「非常識」とも言えるルールの数々が、バークレーマラソンズの同時に中毒的な魅力と言えます。


エントリー方法

バークレーマラソンズへの挑戦は、厳しいエントリーの関門を潜り抜けるところから始まります。
通常のレースであればエントリーサイトがありますよね。
このレースにはそんなものはありません。
なんならエントリーの仕方すら開示されていません。

ただこれまで参加した選手の声を元に漏れでた情報から噂は広がっています。
なんでも、主催者に宛てた「エッセイ」を提出しなければならないとかなんとか。

送り先のメールアドレスや時間など決まり事があるのですが、ここでは記すことができません。
情報戦はすでに始まっているのです。
このエントリー一つとっても小話が溢れるのですが、書けないことがもどかしくて仕方ない!!

ちなみに年々応募者は増加しており、一説には倍率が100倍をゆうに超えるとも言われています。
この狭き門を突破し、出場権を手にできるのは、世界でわずか40名のみです。

そして当選者には「お悔やみのメール」が届きます。
普通は「当選おめでとうございます!」ですよね。
バークレーでは「残念ながらあなたは選ばれてしまいました。これから何一つ良いことは起こりません。」という旨のメールが届きますw
私は最初、これは当選したのか外れたのか、どっちなんだと気を揉みましたw

エントリーが認められた後も、参加費の送付や膨大な書類手続きが続きます。
アメリカ国外の選手にとっては、言語や物理的な距離といった制約を乗り越えるだけでも一苦労です。
加えて、その提出書類の中には「テスト」と呼ばれる非常にユニークなヒアリング項目があり、そこにはこのレース特有のユーモアと、ある種の「おかしみ」が凝縮されています。
このテストについて記すだけでブログ一本書けてしまうのですが、書けないことが悔しくて仕方ない!!

ちなみにレースの開催日はサポート以外には絶対に口外禁止です。
私もレース前はSNSの投稿を控えたり、ストラバのアクティビティの共有をオフにしたりとそこにいることが悟られないように気をつけました。


現地での準備・試走

2026年2月9日(日)、私はアメリカ・テネシー州へと降り立ちました。ナッシュビル空港から車を走らせ、ベースキャンプとなるフローズンヘッド州立公園まで約30分の街、オークリッジに滞在。今回はサポートの首藤さんに運転をすべてお任せできたおかげで、移動のストレスをなくせたのは本当に大きかったです。この場を借りて再度感謝申し上げます!

食事面でも首藤さんの存在は絶大でした。「日本食を食べたい」という私のリクエストに応え、持ち込んだ調味料で味噌汁や醤油味の料理を作ってくださり、油の多い食事に偏りがちなところを回避できたのはありがたかったです。

親子丼と味噌汁!!日本食最高!

フローズンヘッドステートパークの試走

翌日から2日間、コースの試走(オントレイルのみ)を行いました。

  • 1日目(約30km): フランスチームの選手と情報交換をしながら、チェックポイントや分岐を確認。万が一のリタイア(エスケープ)ルートも念入りに頭に叩き込みました。
  • 2日目(約18km): 映像で何度も見た激坂「ラット・ジョー(Rat Jaw)」へ。見下ろすと緩やかに見えますが、実際に登ると凄まじい斜度。映画の世界に飛び込んだような高揚感に包まれました。

その後、ビジターセンターで「マスターマップ」を写すための白地図を購入。売り切れの噂もありましたが無事に確保でき、お土産にTシャツやマグネットも購入しました。
また、コーチである井原知一選手の繋がりで、現地の在住のブライアンからテントとストーブを借用。
Big’sの時も思いましたがアメリカでは人の縁に助けられる場面がとても多い印象でした。
彼らは決して困っている人を放っておかない。親身になって助けてくれる優しい人が多いと感じました。

キャンプイン&受付

レース前日の金曜日、午前9時半にキャンプ場へ。受付では、初参加(バージン)の儀式として地元・広島のナンバープレートを現在RDを務めるカールに捧げ、代わりにゼッケンの入った封筒を受け取りました。

封筒の中には、BOOKの指示書と共に「地図に収まりきらない場所がある」という不穏な2枚の切れ端が……。
その2枚の切れ端は手元のマップに貼り付けるようにできているんですがまず縮尺が違う。。。そして印刷の解像度がめちゃくちゃ荒い。これがバークレーなのでしょう!
混雑を避けるため先に指示書の翻訳を済ませ、空いたタイミングでマスターマップを白地図に転記。
装備を整え、いよいよ「その時」を待ちます。

いつスタートするかわからない恐怖

コースを書き記す前の地図をテントで再確認中。マップは公開NGなのでぼやかしてます。

2月14日(土)0時から12時の間のどこかでスタートすることが決まっているのですが、いつスタートするのか。それはラズとカールしか知らない極秘事項。
開始1時間前を告げる「法螺貝」が鳴るのを待ちながら、眠りにつきます。
いつ呼ばれてもいいよう、テーピングも着替えも全て済ませた状態で寝袋に入りました。
20時ごろ完全に眠りに落ちましたが、サポートの首藤さんは寒さに凍えながらダウンと寝袋に収まって法螺貝の音を聞き漏らさないように起き続けてくれていました。。。圧倒的感謝。。。


スタートライン

3つの大きな変更点

スタートする前に2026年独自の変更点についてまとめておきます。
2026年大会は、これまでの歴史を塗り替える「異例」の事態が重なり、初参加(バージン)の選手は当然として、ベテランの選手で苦戦する条件となりました。

  1. 開催時期の変更: 例年の3月から、史上初となる「2月開催」へ。寒波が来たら死人が出るのでは?
    ハッピーバレンタインというラズの言葉を素直に喜べる人はいないはず。。。
  2. スタート地点の変更: 公園内の改修工事に伴い、象徴的なイエローゲートが使用不能に。代わりに、川沿いの急斜面にある小さな車止めが「仮設イエローゲート」として設定されました。
    最初見た時はここじゃないよなと確信するぐらいの傾斜の場所ですw
    これがバークレー。。。
  3. 逆回りの1周目: 最も参加者を驚かせたのが、1周目の進行方向が「反時計回り」になったこと。これは史上初の試みであり、RDからは記念すべきことだとお祝いの言葉をもらいましたが、盛大な皮肉ですな!
仮設イエローゲート!後ろの法面は人が留まるには厳しい斜度w

始まりの合図

キャンプ場に法螺貝の音が鳴り響いたのは、まだ夜も明けきらぬ午前5時。スタートまで残り1時間。 トイレを済ませ、最終的な荷物のチェックを行い、軽く食事を摂って身支度を整えます。狭い「仮設イエローゲート」に40名の選手たちがひしめき合う様子を見て、レースディレクターのカールたちが「まるで羊の群れのようだ」とくすくす笑う、バークレーらしい皮肉な場面も。
映画の中のような世界に自分自身が入り込んでいることに不思議な感覚を覚えました。

タバコの煙

スタート直前、過去のランナーの中で天に昇った方に向けて「葬送ラッパ(タップス)」が吹かれました。
次のこれを聞くときは自分のために吹かれるのか、他者に吹かれているのを横で聞くのか定かではありません。

そして、ついにその時が来ます。 主催者のラズがゆっくりとタバコに火をつける——。
有名なあのシーンが目の前に広がる!この時の煙の揺らぎ、今でも脳裏に焼き付いています。
そして揺らめく煙を認めた瞬間、選手たちが一斉に駆け出します。

あの時の高揚感、震えるような感覚は、忘れることはないと思います。
こうして、史上初「反時計回り」の第1ループへ40名が闇の中へ消えていきました。


レースレポート

開幕ダッシュ!

午前6時。ラズのタバコの煙と共に、2026年大会が幕を開けました。 序盤、時速15km近い猛ペースで突っ込む先頭集団。ロードからトレイルへ入るわずかな分岐でさえ、コースを外れる選手が続出します。ベテランに引き戻される彼らを見て「経験の差」を痛感しました。
そして道なき道(オフトレイル)へ入った瞬間、各々が独自のルートを突き進む光景を目の当たりにし、「これがバークレーか!!」と武者震いがしました。

最初の「ページ」を手にした高揚感

私は歴代完走者のオーレリアン・サンチェス選手をマークし、前から6番手ほどの集団で進みました。足元が枯葉で隠れた激下りを猛スピードで駆け抜け、ついに最初のBookを発見。「Book!」という叫び声と共に選手が集まり、私も自分のゼッケン番号「5」のページをちぎり取りました。
その後も本を掴もうと伸びてくる無数の手。急傾斜の斜面で行われる異常な光景に笑えてきますw
「今、オレはバークレーの中にいる」。かつてない高揚感を感じました。

最初に千切ったBookのページ

5ページ目はどこや!!

次のBookへの道はオフトレイルの急登。ついて来られない選手が出てくるのを見ると、ここが先頭集団とのフィジカル的な境目だなと感じました。
オフトレイルでは選手それぞれの作戦が見て取れて、最短距離を直登する選手、、つづらで登る選手、歩きやすい尾根を探して登る選手など。集団の後ろにつけている利点を生かしてコースを覚えつつ、テクニックの吸収に努めました。
順調に見えた矢先、トラブルが襲います。次のブックを開くと、あるはずの「5番」のページが存在しないのです。
3ページ目と7ページ目はある。その間のページがまっさらで何もプリントされていない。。。
これを証拠として持ち帰っても証明にならないのでは?
想定外のことで困惑する私に、後続の選手が「この白紙のページ(5ページ目に相当する箇所)でいいんだ」と教えてくれましたが、そのロスで先頭集団とはぐれることに。

ここから、本当のバークレーマラソンだ!と言われているかのようでした。。。

問題のページ番号がなかったページ。今では良き思い出です。

孤独の価値は

完全に孤独となった私は、自力での地図読みを余儀なくされました。 最初の下りで尾根を一本間違え、リカバリーに時間を費やす間に、後続の選手に次々と抜かれていきます。
その後刑務所のポイントでBookをちぎり、有名な「ラット・ジョー」の激坂を登りきり、給水ポイントへ到着したときには、すでに気温が上昇し、暑さで頭から水をかぶるほどのコンディションになっていました。

給水ポイントのタワーののち、選択に迫られます。
自分一人で進むか、後ろ選手たちと一緒に進むか。

選んだのは一人でのナビゲーション。
理由は後ろの選手はこれまで自分が抜いてきた選手でペースがすでに自分よりもかなり遅い選手でした。
自分の挑戦を人に委ねてはいけない、自分で探す行為でしか得られないものがある気がすると感じたことも後押しとなりました。
しかし、ここからが本当の地獄w 早速次のBookを目指す途中で、完全に現在地を見失ったのです。
これまでの少ない経験で自分の身を守れるのか、底知れない不安に襲われました。
まずは度冷静になり、川を登り、地形を確認して自身居場所を確認。
もう一度Bookの場所へ向けて進みポイントへアプローチしました。

その最中1人のアメリカ人選手と出会い、彼と協力して探し続けた結果、ようやくブックを発見。
同じ流域を1時間半も彷徨い続けていました。

落ち込んでないといえば嘘になりますが、「こんなに面白い世界があるのか!」という子供の頃に感じた高揚感を思い出しました。
そしてこの時点で制限時間が怪しくなってきましたが、すでにこの遊びに夢中になっている自分がいて、制限時間をオーバーしても全部のBookを探して回ろうと決意しました。

他人に委ねてはいけないもの

その後もミスは続きました。下りのナビゲーションがうまくいかず、30分、また30分と時間を溶かしていきます。
登りではドンピシャでBookを見つけられたのに、次のBookでは一本尾根が違うところを降りてしまう。
そんなミスが続きました。
ミスが続いた後、偶然遭遇したアメリカ人の3人グループから「一緒に進もう」と誘われました。
自分のナビゲーションに自信を失っていたこともあり彼らの誘いに乗ることにしたのですが、彼らも現在地を把握できていない様子で、言葉の壁もあり、意思疎通が不透明なまま妥協して進むリスクを感じました。

自分の地図読みでは明らかに違う場所なのに、同じところを1時間も捜索している。
私はあえて彼らと別れる決断をしました。
拙い英語で次の挑戦のために自分で探したい。そう伝えて一人で探すことに。
この時点で制限時間内の1周目走破は現実的ではない時間に。
それでも一人で進んだのはその方が楽しいし、得られるものが多いと感じたから。
彼らから学んだのは ナビゲーションを人任せにするということは命を預ける行為だということ。

一度元居た場所まで戻り、目標物を確認しながら丁寧にルートを辿り直すと、あっさりとBookが見つかりました。自分を信じて下した決断が、何物にも代えがたい経験値に変わった瞬間でした。

好奇心と恐怖の狭間

その後、一瞬舘野さんと合流して共にBookを見つけましたが、ペースの違いから再び一人に。
1周目の制限時間はすでに過ぎていましたが、「全てのBookを回収する」という執着だけが私を動かしていました。
普段のレースならこういった状況は辛く、押し潰されるような感覚を覚えるのですが、バークレーではただただ楽しく進んでいました。
恐らくこれが5周完走するのであればもっと切羽詰まった状況になるのでしょうが、1周を自分のペースで地図読みしながら進むという行為は、一定の体力と好奇心を持ったものにとってみれば最高の遊び場です。
冒険や宝探しを大人の体力・地力をもってして全力で遊べるフィールドがバークレーなんだと思います。

最終的には、深夜のオフトレイルの恐怖、雨の予報、そして想定タイムよりも長時間の行動となったことによる補給食の不足という状況を鑑み、最後の数個のポイントを残してスタート地点への帰還を決断しました。
バークレーは誰かに助けてもらうことができません。
自分の地図読みスキルやその時の装備を考えれば、正しい判断だったと確信しています。
一番大切なのは安全に帰ってくることですから。

キャンプに戻る直前最後のBookを回収しました。
タイトルは「READY TO DIE」(死ぬ覚悟)
この日1番の皮肉を抱きしめてバークレーマラソンは幕を閉じました。

キャンプに戻り、葬送ラッパ「タップス」が吹かれながらさまざまな思いが心を巡ります。
カール(レースディレクター)に伝えた第一声は、「It’s very fantastic! Thank you very much!」でしたw

もっと伝えたいことがあるけど言葉にならないことがもどかしく、でも本当に伝えたい「真意」は伝えられたかな。

トレイルランニング人生で、これほど童心に返って楽しめたレースはありませんでした。
完走は叶いませんでしたが、自分に足りないもの、そしてこれからの可能性が明確に見えた、19時間の冒険でした。

テントに戻りサポートの首藤さんに真っ先に伝えた言葉は 「めちゃくちゃ楽しかったです!」
もっと長く戦いたかったけれど、最初に出てきた言葉が本音なんだと思います。


2026年の参加選手について

毎年実績のある選手が集まるこのレースですが、2026年大会も大物選手が参加していました。

名前国/地域主要なレース実績・特筆すべき功績
John Kelly米国バークレーマラソン 3度完走者 (2017, 2023, 2024)。Spine Race 優勝 (2020)。Pennine Way FKT保持。
Aurelien Sanchezフランスバークレーマラソン 完走者 (2023)。SwissPeaks 660K 3位 (2024)。
Damian Hall英国Spine Race 優勝 (2023)。UTMB 5位 (2018)。バークレーマラソン 4ループ到達者。
Mathieu BlanchardフランスUTMB 2位 (2022) / 3位 (2021)。Diagonale des Fous 優勝 (2024)。Western States 100 7位 (2023)。
Max King米国世界マウンテンランニング選手権 優勝。マラソン自己ベスト 2時間14分。
Sébastien RaichonフランスTor des Glaciers (450km) 優勝・大会記録保持。超長距離レースのスペシャリスト。
Jeff Garmire米国主要なロングトレイルのFKT保持者。Cocodona 250 完走。
Paul Terranova米国Hardrock 100 8位 (2023, 2024)。Grand Slam of Ultrarunning 完走。
Andris Ansabergsラトビア世界ロゲイニング選手権 優勝 (2017)。ナビゲーションの専門家。

いずれも国際的に活躍するスーパースターばかり。
UTMB準優勝選手をはじめとする猛者たちと一緒にトレインを組めたと思うと今更ながらテンション上がりますねw
これだけタレントが揃っていたにも関わらず1周目完走は12名。2周目の完走に至ってはわずか4名。
3周目をスタートした4名は以下の通りです。

  • Damian Hall(英国)
  • Sébastien Raichon(フランス)
  • Mathieu Blanchard(フランス)
  • Max King(アメリカ)

過去にバークレーを完走したことのあるJohn KellyとAurelien Sanchezは脱落。
ちなみに今回のレースでは1周目2周目は反時計回り、3周目4周目が時計回りでしたが、これがレースにどう影響したかは結果を見れば明らかです。

最終的に3周(ファンラン)を完了したのは
Sébastien Raichonのみでした。

彼とはレース前の試走時に挨拶をしましたがコース上の分位でベテランならではのアドバイスをくれました。
英語が得意ではない私のためにゆっくり、丁寧に説明してくれる姿を見て、人間力の高さを感じました。
そんな彼がボロボロのビニールシートを体に纏ってトレイルを走る映像を見た時、込み上げるものがありました。

惜しくも3周目完了とはならなかった3名のランナー。
その中の一人、UTMB準優勝経験のあるMathieu Blanchardはコースの途中で寒さに耐えられなくなったと語り、動けなくなった時に誰も助けてくれない恐怖を感じ、コース途中で引き返したとインタビューで答えています。
超長距離への耐性、環境へ対応する能力、地図読みの精度、精神的なタフネス。
全ての能力を満たし、条件が重ならなければ完走できない。
それがこれまでに完走率1%と言われる所以なのでしょう。

人間の限界を試すレース。完走させたくないわけではないとラズが語っていたことが、現地を走ってみてようやく理解できました。
簡単にできてしまったら面白くないですもんね。


後日談

レースは19時間もの間動いていたわけですが、大きな怪我もなく体は至って健康でした。
翌日はしっかり食事を取ったりしてゆっくり過ごしましたが、2日後にはJOGを再開。
レースを終えて、早くトレーニングがしたい、もっとやれることがたくさんあるという気持ちが強くなりました。

これまで幾つかの100mileレースを走ってきましたが、正直完走できないという不安はありませんでした。
ただ、バークレーは違いました。
このレースは完走できないことが前提にあり、体力・走力だけでは完走できない。
わかっていたことではありましたが、身体的な体験を伴ってはじめて本当に理解できました。

日本に帰ってきた今、これまでと同じトレーニングをしても感じ方が変わりました。
ただのJOGが楽しくて仕方ない。
体が受ける刺激の新鮮さが半端じゃない。
毎日走りたくて仕方ない!
走るのが楽しいとか、そういうことじゃないんです。
トレーニングをして得られる効果によって成長した姿が鮮明になったというか。

とにかくバークレーを経験したことで初心に帰れたということなんですかね?
側から見れば、1周できなかった落伍者でしょうが、僕はこの経験に誇りを持っています。

大切な宝物です。


取り組むべき課題

はじめてのバークレーは高い壁に跳ね返される結果となりました。
来年も挑戦するの?と聞かれることが多かったので自分のスタンスを明確にしておきます。
来年はエントリーしないことに決めています。
足りないものが多すぎて来年完走できる見通しが立たないからです。
元々40名という限られた枠。
完走できる自信がない中で出走するのは失礼だと感じています。

次に出場するときには完走できるという自信をつけてレースに臨みます。そのためにも

  • 読図の精度向上
  • コンパスワークの反復
  • ロスト時の即時修正ルールの確立
  • ナイトナビゲーション強化
  • 英語力UP!!
  • フィジカル(スピード、タフネス)の向上
  • 山岳への適応力

上記の要素を磨いた、何年掛かってでもまた挑戦します!


総括

日本ではまだまだ認知度の低いこのレースですが、海外ではビックリするぐらい人気のあるレースに成長しています。
参加してこのフィールドを愛している人がたくさんいて、相互扶助によって成り立っていることを知りました。
注目度が高まるとどうしても外野からの意見や物理的介入が発生しやすくなります。
そういったちょっかいに負けることなく、長くこのレースが続いていくことを願うばかりです。

このブログを書いていて、謎に包まれたこのレースのことを書きすぎてしまうと良さが失われるのではと危惧もしました。
ただ文章を綴る中で、本質は現地にいかなければ伝わらないし、上辺だけの情報で理解するには程遠いこともわかってきました。

なのでこの文章では本当に表層しか伝わらないと思います。
それでも謎多きこのレースに興味を持ち、いつか挑戦しようとする後続の選手のきっかけになればこんなに嬉しいことはありません。
まだ完走もできていないし、成し遂げられたことは何もありませんが、少なくともこの文章を残すことは意味のある行為につながると信じています。

まだ見ぬ挑戦者へお悔やみを送らせてもらいます。

PS.
サポートで参加する方や、遠征費でどれぐらいかかったのかなどの情報を首藤さんがまとめてくれています。
こちらも併せて読んでいただけると嬉しいです😊

だーまえだーまえ

だーまえ

広島生まれ、広島育ち、広島在住のINNER FACT社員。 学生時代は陸上競技で短距離を、社会人になってからはマラソンを経てトレイルランに没頭。 好きな漫画は「BLEACH」。得意なゲームは「ポケモンスタジアム金銀」。 夢はBarkley Marathonsを完走すること。

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