インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。
ランニングする服がない
ランニングウェアってどうしてこんなにダサいんだ……
なんか野暮ったい服装にしなければならない決まりでもあるのか……
これが世界の陰謀か……
十五年くらい前のことだ。ランニングを始めたての僕は打ちのめされていた。
今のランニングウェアは明らかにおしゃれになっているし、ブランドの数も豊富なのだが、当時は信じられないくらい野暮ったく、選択肢も限られていた。
目立てばいいといわんばかりの原色や蛍光色のTシャツには、シャープに見せようとして変なラインが入っているが、失敗しているのは明確だった。
英語で入っているメッセージがどれも壊滅的にダサい。「風を切れ!」とか「動くことはスポーツ!」とか書いてある。まったく心に響かない。僕がデザイナーなら根本敬の人類史に残る名言、「でもやるんだよ!」を推すだろう。
ランナーのスネを覆うゲイターは落ち武者の脛当てのように野暮ったい。そもそもあれ、なんのために履いてるんだ?(忌避していたが、数年後に、外傷を防いだり筋肉のブレを防ぐためだと知る)
「うわー! どれも買いたくねー! あんなウェア着るくらいなら裸のほうがまだマシだ!」
ランニングに興味を持った早々、走る前から発狂しそうになっていた。
僕はランを始める前は服装にはそれなりに気を使っており、インポートブランドの服をよく着ていた。特にイギリスのストリートブランドが好きだった。それらはスノボー、ミリタリー、グラフィティ文化との親和性が高い(ちなみに僕はスノボーはできないし、グラフィティも憧れてるだけで描いたことがない。恥ずかしいことに上っ面の格好良さだけを甘受していた)。
Tシャツなんて30着以上は持っていた。だから流用すれば良いと思ったのだが、ことごとく素材が綿100%だった。汗をよく掻くランニングは、速乾性のあるポリエステルなどの化繊素材が好ましい。綿だと汗がなかなか乾かずに汗冷えしてしまうからだ。僕はポリエステルのシャツをほぼもっていなかった。それくらい長いあいだ、スポーツとは無縁の生活だったと気づかされた。
正確にはポリエステルのシャツは一着だけ持っていた。
確か、MAHARISHI+FUTURA+ノースフェイスのトリプルネームのシャツだった。おそらくアウトドアブランドのノースフェイスのボディを使って、MAHARISHIとFUTURAがデザインしたのだろう。僕はノースフェイスはまったく気にも留めていなかった。このようなコラボは、一見誰得なのかと思えるが、当時の僕のようなランニング初心者には救済措置のように働いた。これのおかげでランへの垣根を越えられたのかもしれない。
しかし、このシャツだけを着ていられないし、ランニングパンツは必要になる。
結局、壮絶ダサウェアのどれかを買わなければならない(今ではユニクロやGUなどでシンプルで綺麗なラインのランパンやジョガーパンツが買えるが当時はそんなものは皆無だった)。
当時、おしゃれなウェアのブランドはナイキのGYAKUSOUくらいしかなかったように思う。これが異様に高い。始めたてに買うのは勇気がいる。
だから僕はナイキやアディダスの無難な無地のTシャツやランパンを履いていた。ランパンはなぜか恥ずかしくて、膝に届いてしまうような丈の長いものを履いていた。これがランナーのなんともいえないあの野暮ったさの正体か! と気づく。当事者の立場になると、軟弱な脚を見せる勇気がなく、どうにも短い丈に踏み切れなかったりする心情が理解できた。
僕はランニングを始めてすぐに、名著「BORN TO RUN」を読み、トレイルランニングにはまっていく。トレイルランナーはロードランナーよりおしゃれな人が多く、服装も垢抜けていた。当時の日本のトレラン文化はまだ未発達で、ドメスティックブランドもほぼ皆無だった。皆、海外のトレラン文化に右に習えだったように思う。日本のトレイルランナーがおしゃれに思えたのは単純なことで、当時の円高を最大限に活用し、海外通販でウェアやギアを買ったり、海外のレースに参加して現地で買っていたのだ。おしゃれに思えるのは当然だ。
ヨーロッパと北米のトレイルランナーの服装の傾倒は明らかに違いがあった。ヨーロッパはスポーティにカチッとしている。コンプレッションが効いている。ザックも身体にピタリと張り付いているものが多い。
北米は逆にラフだ。ボタンシャツに3インチの短い丈のランパンで走っている。ひどいと上裸で走っている。持ち物も両手にボトルを持っているだけだ。なるべくザックを背負わない。周りの目を気にせずに無駄なものはそぎ落とすその姿は自由を体現していた。
僕はそのスタイルに強烈に惹かれる。しかし、とても真似はできない。違う世界だと感じていた。
ここは日本だ。とても許されない。
民度が高いから治安が良いとかよく言われているが、其の実、同調圧力と堅苦しい相互監視社会を徹底して異分子を排除しているだけだ。だから上裸で走っているひとを見たことがない。
それからしばらくは、ハンドボトルを取り入れるくらいで、あとはヨーロッパと日本のスタイルを踏襲したコンサバなスタイルに落ち着いていた。よく言えば、上手く空気を読んだ格好をしていた。今思えば、いかにもな日本人的な立ち振る舞いだ。
すっかりトレランにはまり、レースに頻繁に出場するようになっていた。
ある日本のウルトラトレイルレースの終盤に差し掛かったときに、前方から上裸の男が走ってくるのが見えた。かなりの急勾配だが、すべて走っている。只者ではない。ゼッケンを付けていないので選手ではない。その男は僕の姿を確認すると、トレイルの脇にそれて手を叩いて応援してくれる。
僕は目を剥いた。それは、日本のトレイルランナーの神さま的な存在である「鏑木毅」だったからだ。
彼は上裸だが、まったく後ろめたさがなく、自然体だった。
暑いから脱いでいる。そのくらいの感覚だった。
でもここ、日本だぞ……
僕の服装に関するリミッターは、そこで軽く外れたのを憶えている。
2025年現在、僕はまだランニングを続けていて、レースに年に5回以上は出場している。そのほとんどが100km超のレースだ。
マッチ棒のようだった脚は逞しくなり、肌は日焼けで浅黒くなっている。筋肉量が増えて健康的になり、体脂肪率は一桁になっていた。
100kmのトレイルレースでもザックを背負わなくなっていた。100マイルレースでも背負わないことがある。単純に背中が暑いからだ。締め付けられる感覚も不快だ。ハンドボトルは相棒になっていた。
日課のジョギングでも夏場は上裸で走っている。日本の夏は殺人的で、北米並に暑い。湿度はより高い。裸で走るほうが自然だと認識は書き換わっていた。
短パンだけで走り、地肌に風を受けるのはとにかく気持ちが良い。浮かんだ汗が蒸発していくのが分かる。全身に陽光を浴びると生きる力が溢れてくる。
とにかく、素直に快適を求めるようになった。暑いなら法律に抵触しない範囲で脱ぐ。逆に寒ければ着込む。自分の快のセンサーをきちんと尊重するようになっていった。そうするようになってから戦績が良くなっていった。感覚が鋭敏になったのだろう。この三年間、幾度も難関のレースに出ているが、一度もリタイアしていない。
良いウェアがないと嘆いていた昔が懐かしい。
あの頃迷っていた、「ブランドものに身を包んだ、おしゃれな僕」に教えてやりたい。
そもそもお前は将来、ウェアを着ず、原始人のように上裸で走っているのだと。それが一番洗練されていて格好いいのだと。
でもそんなことを言っても昔の僕にはきっと響かない。
格好いいウェアを探しまわって、無駄に迂回しまくった。北米のスタイルに衝撃を受けて自分なりに取り入れた。自分の日々鍛えられ、更新される肉体とそれらを融合して、これが一番格好いいと思えるスタイルにようやく落ち着いたのだ。たとえその過程を詳細に説明しても昔の僕は理解できないだろう。
最近、街中で、おしゃれな若者が一昔前に流行っていたトレランの野暮ったいシューズやトレランザックを着用しているのをよく見る。近年流行っているダッドシューズの一種として取り入れているようだ。
僕はそんな、見事に踊らされているひとたちを見て吹き出しそうになる。あまりに軽薄で、自分の生きた軌跡が全く出ていない。よく目を凝らしても、なめくじが這った後のようなねばねばが少し見えるくらいだ。
あえてそのひとたちの長所を挙げるなら、「かっこよさげなトレンドを鋭敏に読む能力に長けている」だろうか。どっちにしろ恥ずかしい。グラフィティをしていないのにグラフィティの第一人者が作ったブランドの服を着てドヤッていた昔の僕に本当によく似ている。なんか吐き気がしてきた……
ランニングの文化を身をもって味わってきた僕はそいつらとは違い、その先の光景を知っている。その先を走っている。
「俺がファッションリーダーだ! これが一番洗練されたスタイルなんだ!」
そう叫びながら軽薄なそいつらを追いかけ回したい。
もちろん上裸で。
「うわー! なんだあの変質者のおっさん!」
そいつらは逃げ出す。僕は追いかけ回してこう叫ぶ。
「そうだ! 走れ! 全力で! いいぞ、いいぞ! そうすれば理解できるんだ!」
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