インナーファクト ランニングエッセイ
ライター江西祥都によるランニングに関するエッセイのシリーズです。
月二回更新予定。
ランニングを習慣化する方法
僕は時々、小さなトレーニングジムでパートをしている。大方、裏方の事務をしているが、ウォーキングやランニングなどの有酸素系アクティビティの相談をしたい利用者の対応を任されることがある。
上級者はほとんどいない。いても勝手にトレッドミルを使って走り込んでいる。相談者は走ることが習慣化していない初心者が多い。今履いているシューズは適しているかどうかとか、効率がよくて脚を壊さないフォームはどういったものか訊かれることが多い。
シューズは不満が出てきたらそれを解消するべく買い換えればいい。フォームなんて続けていくと最適化してくるから細かくは教えない。とりあえずやってみて量をこなして修正していったほうが効率が良い。
つまり結局は継続できるかどうかが焦点になってくる。しかし大抵のひとはすぐに辞めてしまう。
僕はよくこういう質問をする。
「読書ってするほうですか?」
「えっ……読書ですか!?」
読みますとか、時々読むと返してくれる利用者はランニングの素質がある。
「オーディブルって知ってます?」
オーディブルは小説や実用書などを朗読してくれるサブスクだ。哲学書まである。ナレーターはプロの声優が多くて聞き取りやすい。ラインナップも充実してきて、最近ではヒットしている小説などは半年でオーディブル化する。僕は若い頃に読んでいた古典SFをもう一度オーディブルで聴きかえすことが多い。おっさん視点で振り返ると新しい味わいがある。
僕は日々、オーディブルを聴きながら走っている。そうしないと30分で退屈して止めてしまう。実際、オーディブルを聴きながら走るようになったら月間走行距離は1.5倍~2倍に増えた。先が気になって一時間のランニングがつい一時間半になってしまうからだ。
これはランニングの革命だと思っている。
ランニングはとにかく習慣化して、距離を踏んでいれば上達する。運動能力なんてなくてもいいし、基本的になにも考えなくていい。下手に考えると必要もないインターバル走などをして怪我をしてしまう。速く走れるように考えるのは月200kmほど距離を踏めるようになって、回復力が上がった身体と自然と最適化されたフォームを手に入れてからでいい。
つまり、楽しくオーディブルを聴きながらひたすら脚を動かしていれば勝手に強靱な身体を手にすることができる。だから本好きは運動能力が皆無でもランナーの資質にあふれているといっても過言ではない。
少し飛躍しすぎたけど、現代ほどランニングを継続しやすい環境はないと思う。トレッドミルを使えばNetflixで映画やドラマを見ながらランニングもできる。
そんな環境が、走りやすいウェアや高性能なシューズやGPSウォッチではなく、オーディブルによってもたらされるとは一昔前には考えられなかった。
「面白い本の朗読聴きながら走ればあっという間に時間経ちますよ。あとつい追い込んじゃうのも防止できます」
僕は利用者のTさんにそんなことを言いながら、周囲の音が聞こえやすい骨伝導イヤフォンを勧めたり、オーディブルの利用料金や今なら二ヶ月無料などの情報を伝える。ウェアやシューズなんて二の次だ。とにかく習慣化を優先したほうがいい。
Tさんはその後、骨伝導イヤフォンを買い、オーディブルに入会してくれた。あまり小説は読まないけど、堅めの自己啓発書や英会話の本をよく聴いているらしい。
おすすめの小説を訊かれ、無難に村上春樹の名を挙げると、昔長編を一冊読んだものの、苦手意識を持っているようだった。僕は短編集が面白いので、「神の子どもたちはみな踊る」や「パン屋再襲撃」がいいですよと推し、自分が一番好きな長編は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だと伝える。Tさんは村上春樹ははまれなかったようだけどエンタメ寄りの社会派小説はいけるぽいので、染井為人や中山七里を勧めると大ハマりしてオーディブルにある作品を次々と読破していた。
数ヶ月後、Tさんに呼ばれたのでトレーニング室へ行く。自然とオーディブルで最近聴いてる本の話題になる。若い頃は哲学書をよく読んでいたらしい。「オーディブルにオルテガの原書ありますよ、超訳みたいなうさんくさいやつじゃなくて」と伝えるとTさんはその場で検索して「ほんとだ!」と声を上げる。こんな難解なの聞き流してもまったくわからないよね、と盛り上がる。そのほかにも要望に応えて何冊かピックアップして教える。Tさんはトレッドミルやバイクを使ったアクティビティを終えると帰って行った。
傍らにいた上司は、「司書みたいだよね」と僕に言った。確かにまったくランニングを教えていない。書店や図書館での会話ならしっくりくる。
でもランニングはそのくらいのスタンスでちょうどいい。メインにしない。真っ正面から向き合わなくてもいい。好きなことにうまく溶け込ませて日常の一部にしてしまえばいい。そうすれば継続できる。
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